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大きな栗の木の下で 66 [大きな栗の木の下で 3 創作]

「合気道の大物?」
 沙代子さんが云うのでありました。
「いやあ、合気道を知る以前から描いていた見取り図のことだけどさ、それは。第一、合気道は知れば知る程、俺は端っこの方で地味に地道にやっていく方が性にあっているような気になったしね。その世界で誰でも知る大物になるってことと、自分の合気道の境地が進むってことは、全く別物のような気もするし」
 御船さんはまた草を摘むのでありました。「尤も、合気道から遠ざかって久しい俺が、今更こんなこと云ってみせるのも、なんかおこがましいような無責任なような気がするけど」
「合気道、また始める気はないの?」
「今のところはね。第一こんな体だし」
 御船さんはそう云って細った両腕を前に伸ばして、それを沙代子さんに披露しながら気弱な笑い顔をするのでありました。
「でもそれを元に戻すには、合気道は恰好の運動なんじゃないの?」
「それは確かに、そうかも知れないなあ。・・・」
 御船さんは摘んだ草を前に投げるのでありました。幾ら腕力がなくなったとは云え、それは沙代子さんの投擲よりは遠くに放ることが出来るのではありましたが、しかしそれでも草はひらひらと宙に舞って、木蔭の外までは飛ばないのでありました。
 海の方からすこし強い風が公園に吹き上がってくるのでありました。旺盛な葉擦れの音が栗の古木の蔭の中を満たすのでありました。その音に気押されたように、御船さんも沙代子さんも少しの間黙るのでありました。
「ところでさあ」
 葉擦れの音が収まってから御船さんは話しかけるのでありました。「ところで、今までの沙代子の話の流れの中で、一点気になるところがあってさ、それが未だ話の中に出てこないのが、俺はちょっと消化不良気味なんだけどさ」
「なあに、気になる一点て?」
 沙代子さんが首を傾げて御船さんを見るのでありました。肩にかかった髪がやや膨らみをつくるのでありましたが、今度は沙代子さんの耳朶はその中に見えないのでありました。御船さんはそれが少し残念なのでありました。
「いやね、その矢岳と云う男の方の、親とか家のことだよ」
「矢岳君の方の?」
「うん。まあつまり、沙代子はそっちの方とは面識とかあったのか?」
「ううん、それまでは逢ったこともないの」
 沙代子さんが首を何度か横にふるのでありました。
「一緒になるんだから、そっちの実家の方にも挨拶に行かなくてもよかったのか?」
「ちょっと複雑な事情があったから」
「孫が出来て、倅にちゃんとした収入もなくて経済的に困っているわけだから、そっちからの援助と云うのか、差し伸べられる手と云うのか、そんなものもなかったのか?」
(続)
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