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大きな栗の木の下で 46 [大きな栗の木の下で 2 創作]

 それであたし達は翌日の寝台特急で東京へ帰ったの。夕方まで時間があったんだけど、別に何処にも行かなかったわ。本当は、あたしが通っていた小学校とか中学校とか、他にも色々な処に矢岳君を案内する計画していたんだけど、なんか出歩く気も起こらなくてね。矢岳君は夕方までホテルの部屋でギターなんか弾いていて、あたしは秘かに母と待ちあわせして昼食を摂ったり、ちょっと買い物に繁華街を歩いたりして過ごしたの。帰りの寝台特急の中でも、まあ、矢岳君の機嫌も少しはなおったけど、でもなんとなく気まずい感じで、あんまり会話もしないで帰ったわ。
 あたしさ、二人共黙った儘列車に揺られながら、なんか初めの頃に比べると、矢岳君があたしに対して、優しくはなくなったように思ったの。前は嫌なことがあっても、自分のことはさて置いてあたしのこと色々気遣ってくれたんだけどね。まあ、自分のことを普通に、さて置かなくなったってことだけど、なんかちょっと寂しかったわ。あたしの全くの身勝手かも知れないけどさ。
 でも一端そう思って仕舞ったら、今後のことだって、当然不安になって仕舞うわけよ。あたし達には色んな事がこの先あるんだろうけど、それをちゃんと上手く乗り越えていけるかしらってさ。あたしにしても、色んな事、ちゃんと我慢出来るかしらって。あたしその日、朝から妙に体調が優れなかったから、悲観的なことばかり考えていたの。・・・>

 風が去った後に、いきなり、蜩の鳴き声が聞こえるのでありました。
「あ、蝉が鳴いている」
 沙代子さんがそう云って顔を上げるのでありました。御船さんも木蔭の中で栗の木の葉群れの辺りを見上げるのでありました。
「この時期、未だ蝉が居るんだ。」
 御船さんはそう云いながら幹や梢を見回すのでありましたが、蝉の姿は見つけられないのでありました。
「蜩って、夕方とか鳴くんじゃなかったっけ?」
 沙代子さんが聞くのでありました。
「大体はそうだよな」
「もう夕方?」
 沙代子さんはそう聞きながら自分の腕時計に目を落とすのでありました。
「いやあ、未だ夕方と云う時間じゃないけどな」
 御船さんも自分の腕時計を見るのでありました。自分の細った腕に、如何にも重たく腕時計が巻きついているのでありました。
「あたし蜩の鳴き声聞くと、すごく寂しくなるの、子供の頃から」
 沙代子さんは腕時計から目を上げて空を見上げるのでありました。
「俺もそうだったよ。なんかそろそろ遊びを止めて、早く家に帰れって合図みたいで」
「うん、そうよね」
 沙代子さんはゆっくり頷くように顎を戻して、下界の方に視線を向けるのでありました。
(続)
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