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大きな栗の木の下で 29 [大きな栗の木の下で 1 創作]

 沙代子さんは横で寝転んだ御船さんの顔を見下ろしながらそう云うのでありました。
「いや、教えて貰っていないよ、俺は。残念ながら。しかしまあ、羨ましいなあ。俺なんかは、アパートの大家が家族なんかからかかってきた電話なら、一応取り次いでくれはするんだけど、なんか大いに遠慮があったぜ。それにこっちから電話をかける時は公衆電話だし、料金を気にしてろくに話なんか出来なかったよ、貧乏学生としては」
「あたし、結構使い放題だったかな、電話は。電話代の分は仕送りに上乗せして貰っていたからさ。でも、あんまりあたしから他にかけることはなかったけどね。まあ、確かにあたしの周りでも、一人暮らしの人は電話を持っている人なんかあんまり居なかったかも知れない。でもそれは、あたしが強請って電話を取りつけて貰ったわけじゃなくて、親がそうしたんだもの、自分達が気兼ねなくあたしに何時でも電話するためにさ」
「でも、いいよなあ、家に専用電話があるって云うのは。ま、電話のことは、ちょっと今までの話に関係ないことだけどさ。それに、今更羨ましがっても仕方ないんだけどさ」
 御船さんはそう云って肘をついた手の前の草をもう一方の手で少し毟って、それを軽く前に放るような仕草をするのでありました。「でも、もしあの頃俺が電話を持っていたら、合気道部の連絡とか、色々使えて便利だったと思うよ。それに料金が親持ちだってところが、余計羨ましいや」
「あたしの行動を見張るのが目的なんだもん、親としては。まあ、電話で見張るって云うのも妙な話だし、自ずと限界があるけどさ。でも、この前電話した時は長いこと話し中だったけど、誰にかけていたんだとか、結構色々追求があったわよ。それにしょっちゅう父親に電話かけてこられるのも、鬱陶しいものよ」
「まあ、そうやって元手をかけて監視していても、結局、半同棲なんかやらかされるわけだから、親としては立つ瀬がないな」
 御船さんは云った後に、しまった、電話を持っていることを当時自分に教えてくれなかったことへの腹いせに、つい迂闊にこんな皮肉のような科白を口に上せて仕舞ったけれど、こんなこと云ったら、また前の話に舵を戻すことになるではないかと秘かに焦るのでありました。沙代子さんを見上げると、沙代子さんは御船さんの言葉に思わず吹いて、それから口を引き結んで、咎めるような目を作って御船さんを見下ろすのでありました。
「だから、矢岳君には、かかってきた電話には、絶対出ちゃだめって云ってあったの」
 沙代子さんが云うのでありました。嗚呼、御船さんがつまらない一言をついうっかり口にしてしまったものだから、案の定、また沙代子さんは矢岳と云ういけ好かない男との顛末の話しを始めるようであります。・・・

 <矢岳君は、かかってきた電話に出ることはないんだけれど、かける方は自由にしていいって云っていたから、結構バンバンあっちこっちに電話するのよ。音楽関係の打ちあわせとか、仲間との連絡なんかで。それで電話代の請求がすごいことになって、あたし父親になんて云って説明していいのか、ちょっと困ったりしたわよ。でもまあ、あたしは矢岳君との生活が、とても楽しかったけど。
(続)
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