SSブログ

大きな栗の木の下で 28 [大きな栗の木の下で 1 創作]

 その内、実はあたしの方が、頻繁に逢えないことがとても寂しくなっていたのよ。合気道部の活動が、なんとなく色褪せてきたの。寧ろ合気道なんかやっているから、あたしは矢岳君に逢いたい時に逢えないんだって、そんな風に思うようになったの。で、ま、そんなこんなで、あたしは結局合気道部を辞めたんだけど。・・・
 矢岳君はプロ歌手の前座としてのステージ活動とか、レコードデビューする話なんかもちらほら持ち上がっていて、とても忙しかったから、大学にもあんまり顔を出さなくなっていたの。でも電話とかで頻繁に連絡はとりあってはいたのよ。
 あたし学校の講義サボったりして、赤坂とか青山の喫茶店なんかに、少し時間の出来た矢岳君に逢いに行ったりしたの。矢岳君は何時もギターケースを持って、あたしとの待ちあわせ場所に現れたわ。矢岳君に目をかけてくれている音楽事務所とか、そこが手配してくれる貸しスタジオとかが、その辺にあったのよ。
 音楽事務所が、目をつけた何人かのアマチュアの歌手を世話していて、練習やら曲作りとか、偶にプロのミュージシャンの手伝いとかのために、事務所が手配した貸しスタジオを開放していたの。その何人かの中に矢岳君も入っていたのね。矢岳君としてもそこに頻繁に顔を出して、プロの人にアドバイスを貰ったり、色んな人とのコネクション作りとか、事務所の人に注目して貰うためとか、まあ、そんなことに律義に励んでいたのよ。
 あたしも矢岳君もその内、学校とかで偶にしか逢えないことが段々不満になって、お互いのアパートを訪ねるようになったの。矢岳君のアパートには、矢岳君の音楽の仲間とかがしょっちゅう出入りしていたから、二人で逢うにはちょっと都合が悪くて、殆どは矢岳君があたしのアパートに来ていたわ。
 あたしは学校が終わったらアパートに帰って、矢岳君を待つの。矢岳君は大体、夜やって来たわ。スタジオの帰りだから、ギターケースを持ってね。ひどく遅くて、日を跨いでから現れることもあったわ。でも、毎日逢えるのがあたしは嬉しかったの。矢岳君がスタジオに行かない日は、二人で一緒に大学に行ったりするんだけど、あたしなんとなくそんな時は、クラスの人に対して結構気恥ずかしかったけどね。
 でも逢いたいのに逢えないし、殆どが電話だけの恋人同士なんて、そんなの嫌じゃない。だからあたしのアパートで、結局、半同棲生活みたいなことになっていったの。・・・>

 栗の古木に海からの風が吹き当たって、木蔭の中を葉擦れの音で満たすのでありました。御船さんは座っている姿勢に疲れて、片肘をついてゆっくり寝転ぶのでありました。
「沙代子は部屋に電話を持っていたのか、大学時代?」
 御船さんが今までの沙代子さんの話とは全く関係のないそんなことを聞くのは、実は沙代子さんと矢岳と云う男の当時の甘い生活の実態を、沙代子さんの口から縷々聞かされるのがそれ以上耐えられないからなのでありました。
「うん。大学生になって、あたしが東京のアパートで一人暮らしすることになったから、父親がね、部屋に電話を引いてくれたの。まあ、遠くで目が行き届かない分、せめて電話で、あたしを監視する積りだったからでしょうけどね。あれ、番号教えてなかったっけ?」
(続)
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。