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大きな栗の木の下で 27 [大きな栗の木の下で 1 創作]

 殆ど自分のことは喋らないで、あたしのことばっかり聞きたがるのよ。あたしそれ、結構意外だったの。だって、矢岳君は有名人だし、音楽やっているんだから自己主張が強いだろうし、周りからちやほやされていて、かなりの自信家でもあるだろうから、音楽の蘊蓄とか、まあつまり自分の自慢話のようなことばっかり喋るんだろうなって、あたしそう思っていたのよ。それなのにそんなことは、あたしに聞かれればぼそぼそって調子でちょっと話すくらいで、あたしのことを一杯知りたいって感じの会話の進み方だったの。それに、あたしを笑わせて和ませようと気を遣ってもくれているし。
 あたし矢岳君のイメージがちょっと狂ったのよ。まあ、それまで話したことも殆どなかったわけだから、あたしが勝手に持っていた矢岳君のイメージなんだけどね。話すと、全く普通の学生なの。あたしその意外なところに、屹度惹かれたのよね、すぐに。・・・>

 御船さんはそう話す沙代子さんの横顔をずっと見ているのでありました。別に遮る積りはないのでありましたが、なんとなくあんまり聞きたい話ではないと思いながら、沙代子さんの話を聞いているのでありました。これでは自分は矢岳と云う男のように、聞き上手を演じることはどうも出来そうにないなと思うのでありました。
 それにつけても矢岳と云う男、単なる通俗的な手を遣う女誑しに違いないのであります。意外性の使用法が、見え透いているものの、如何にも手慣れている風情が窺えるではありませんか。尤も今の沙代子さんの話からだけで推測するならば、でありますが。
 まあしかし、それは定式通りの手練手管であり、あんまり工夫が見られないと云う誹りは免れません。人誑しの常套手段から一歩も出ていないわけで、そんなんじゃあ、音楽家としての独創性等さっぱり発揮していないではありませんか。
 してみると、矢岳と云う男のものする音楽なんと云うのも、一度も聴いたことはないのではありましたが、屹度大したことはないに違いないのであります。いや尤も、御船さんはつまり結局意気地のなさから、そんな見え透いた通俗的人誑し法どころか、それと思しき手練手管を発揮して女性を口説いたことは今まで一度もないのではありました。自分は誇り高い者であるから、そんな低俗な策など使わないのであると、御船さんは胸の奥の方で高らかに宣しながら、そして単に、自分の気弱さを自己弁護しているのでありました。それに、そんなつまらない手管に乗る沙代子さんも沙代子さんであると、これも胸の奥の方で小さな舌打ち等しているのでありました。
 下界から風が吹きあがって来て、沙代子さんの着ているシャツの襟をはためかせるのでありました。暫く黙った後、風が去ってから沙代子さんは続けるのでありました。

 <つきあい始めると、矢岳君はあたしをとても大事にしてくれたの。まあ、初めの内はね。あたしも矢岳君に誰よりも大事にされていると思うと、なんかちょっと勿体ないような気なんかして、とても嬉しくて有頂天になっていたの。
 あたし合気道部の活動があったし、矢岳君も音楽の活動があったから、初めの方はそんなに頻繁に逢ったり出来なかったの。でも、矢岳君はそれで不満を云うこともなかったわ。
(続)
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