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大きな栗の木の下で 23 [大きな栗の木の下で 1 創作]

「御船君の姿がこの木の下に見えたからよ、道から見上げたら」
「下の道から、よく俺と判ったな」
「なんとなくそうかなって思ってさ」
「俺はこんなに痩せて、前とは風貌もすっかり変わっているって云うのに」
「でも、なんとなく雰囲気で判ったのよ。御船君の雰囲気」
「ふうん、そんなもんかねえ」
「だから、急にすごく懐かしくなってさ」
 御船さんは遠目に見ただけで沙代子さんがすぐに自分と判ってくれたことが、満更嬉しくなくもないのでありました。
「お祖母さんの家は、しょっちゅう来たりするの?」
「うんそうね。お祖母ちゃんには、ウチの子が可愛がってもらっているから」
 沙代子さんはそう云って御船さんに微笑むのでありましたが、その笑みにはどこか屈託の翳りがあるように見えるのでありました。
 御船さんは沙代子さんに子供があることは既に知っているのでありました。それは同窓会かなにかで、高校時代の同級生の女子から聞いたことだったでありましょうか。
「じゃあ、お祖母さんの家に遊びに来ていた子供を迎えに来たとかかな、今日は?」
「ううん、そうじゃないけど。第一今日は水曜日でしょう。ウチの子は学校だもん」
「え、もう学校に行ってるんだ?」
「そう。小学校の二年生」
「へえ、そんなに大きいんだ」
 御船さんはそう云いながら沙代子さんがその子を産んだ歳を逆算するのでありました。大学を出て間もなく沙代子さんは子供を産んだことになるわけでありましたから、その子は当然、当時つきあっていたあの矢岳と云う名の地理学科のフォーク歌手の子供なのでありましょう。そう思うと御船さんはなんとなく胸の奥に、かさかさと乾燥した風が吹き当たってくるような気がするのでありました。
 二人が少しの間黙るのは、御船さんも沙代子さんもその子の父親のことを思い浮かべているからでありましょう。このなんとなく重苦しい沈黙から推し測って、御船さんは無神経にその子の父親のことに話頭を移すことを憚るのでありました。それは沙代子さんには屹度、触れてほしくない機微に属する話題に違いないのでありましょうから。
「沙代子は今、働いているのか?」
 御船さんは少し不自然に長い沈黙に遂に耐えかねたものだから、沙代子さんにそんな話をふり向けるのでありました。
「うん、働いているよ」
「水曜日が休みの仕事か、それは?」
「そうじゃないけど、今日は有給休暇貰ったの。ここのところずっと、お祖母ちゃんが体の調子を崩しているから、そのお見舞いのためにね。で、今はその帰り」
 沙代子さんはその日、自分が何故ここに姿を現したのかを説明するのでありました。
(続)
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