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大きな栗の木の下で 15 [大きな栗の木の下で 1 創作]

 しかし沙代子さんは意外にけろっとしているのであました。
 稽古後に部室の前で部員全員整列して主将、副将、それから顔あわせには来なかったけれど、四年生の主務やら幹事やらと云う役職の幹部連を送り出した後、その日は解散となるのでありました。帰りに御船さんはどちらから誘うともなく、沙代子さんと二人で大学の近くの定食屋に入って二人で食事をするのでありました。
「仰けから一時間半の正坐は参ったな。どうだい、早速辞めたくなっただろう合気道部?」
 御船さんは料理の注文が済んだ後、かなり本気の危惧を、そんな軽い感じの言葉にして口の端に上せるのでありました。
「ううん、あたしそんなにうんざりしなかったわよ、今日の正坐は」
「ほう。俺はうんざりだったぜ。これからしょっちゅうあんなに長く正坐なんかさせられるのは、勘弁してもらいたいけどなあ、全く」
「あたし皆の手前、すぐに立てないふりしてたけど、本当は足もそんなに痺れてなくて、立とうと思えばなんてことなく立てたわよ」
「へえ、お前、正坐、慣れてんの?」
「うん、子供の頃から家ではずっと正坐だったし」
「ふうん、大したものだな。あの、応援団みたいに一々、大声で押忍々々云うのはどうだ、なんかちょっと抵抗とかないか?」
「まあ、体育会だからあんなもんじゃないの。慣れたらあんまり気にならなくなると思う」
 沙代子さんは水を一口飲むのでありました。「でも、押忍って便利な言葉よね。なに云われてもそう云っていれば済むみたいだし。『今日は暑いな』『押忍!』『でも朝は冷えるな』『押忍!』『お前は寒くないのか?』『押忍!』『暑いのか?』『押忍!』『どっちなんだ?』『押忍!』『お前は押忍しか云えないのか?』『押忍!』」
 沙代子さんはそう云って口に手を当てて可笑しそうに笑うのでありました。
「お前、見かけに依らず豪胆なんだな。なんか尊敬しちゃうなあ」
「押忍!」
 沙代子さんはおどけて敬礼して見せるのでありました。どうやら沙代子さんが合気道部の雰囲気に然程たじろいでもいないようなので、御船さんは安心するのでありました。
 実は寧ろ、御船さんの方が少々うんざりしているのでありました。御船さんは合気道そのものをやりたくて合気道部に入ったのでありましたが、しかし入部したからには、合気道にだけ専念すれば済むと云うわけにはいかないようなのでありました。部の活動上一年生は一年生の、上級生には上級生の合気道以外の仕事分担があって、御船さんにはそれがいかにも面倒に思われるのでありました。それに上級生下級生の間の口のきき方やらなにやらの、細々とした礼式も如何にも煩わしそうに思えるのでありました。

 下界からの風がまた、高台にある栗の古木の葉とその下の蔭を揺らすのでありました。
「沙代子が合気道部に入ったのもそうだけど、初稽古の後、あの一時間半の正坐も、体育会の殺伐とした雰囲気にもお前がそんなにめげていないのに、実は俺はもっと驚いたけど」
(続)
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