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大きな栗の木の下で 12 [大きな栗の木の下で 1 創作]

「へえ、そうだったんだ。ちっとも知らなかった」
 御船さんは少し照れ笑いをしながら云うのでありました。あの頃は屹度、本から仕入れた壮大で玄妙な言葉を受け売りに、その意味も全く理解していないくせに、さも大したことめかして大袈裟に声高に喋っていたに違いなかったからでありました。今思えば全く以って赤面の至りであると御船さんは気恥ずかしくなるのでありました。
「一瞬で相手を吹っ飛ばすとか、力じゃなくてほとばしる気で相手を制するとか、愛と和合とか、天地自然の理とか、宇宙と一体とか、それから体じゃなくて気を錬るんだとか、無限の呼吸力とか、マサカツなんとかとか」
「正勝吾勝勝速」
「うん、それそれ。あたしも合気道やってたくせに、未だに意味も判らないけど」
「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。元々は神話に出て来る神様の名前。邇邇芸命のお父さん」
 御船さんが云うと沙代子さんは眉根に皺を寄せて、困惑の表情をするのでありました。昔と同じにその沙代子さんの表情も、数ある印象的な沙代子さんの表情の中で、御船さんはとても好きな表情の一つなのでありました。
「ニニギノミコト、・・・?」
「まあ、いいや。兎に角そんなような言葉、確かに俺は捲し立てていたかな、あの頃」
「なんか意味とかそんなのは全然判らなかったけど、なんとなくそんな言葉がずうっと耳に残っていたのよ、あたし」
「ふうん。云っている俺がよく判らないで云っていたんだから、なんかそう云われると申しわけないような気分になるな」
 御船さんは頭を掻くのでありました。
「で、さ、大学生になってから友達もいないし、四年間打ちこめるものも欲しいって思ってさ、それで、合気道ってふっと思いついたの。まあ多分、同じ大学に高校の同級生だった御船君がいることもあってさ、御船君大学生になったら合気道部に入るって云ってたでしょう、そんならあたしもやろうかなって、そう思ったの。なんに依らず始める時に知りあいがいると、ほら、なんとなく心強いじゃない」
「それで合気道部に入ったと」
「うん、ざっと云うと、そんな感じ」
「今初めて聞いたな」
「あれ、前に合気道部の頃、こんな風なこと、話さなかったけ?」
「うん、聞いてないな」
「そうかな、あたし前に話したような気がするんだけど、違う人にだったかしら」
「俺は聞いてないよ」
「詰まんない話だと思って、忘れたんじゃない?」
「そんなことない。本当に今初めて聞くよ、それは」
 どんな仔細なことであるにしろ、御船さんは今までに交わした沙代子さんとのお喋りの中身を、自分が忘れる筈がないと思うのでありました。
(続)
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