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大きな栗の木の下で 9 [大きな栗の木の下で 1 創作]

 沙代子さんが目を上げるのでありました。
「本当に、ご免ね、御船君」
 沙代子さんは済まなさそうに御船さんを見るのでありましたが、結局沙代子さんは御船さんに対してご免ねと云うのみで合気道部を辞める明白な理由を提示しないし、それはそのことで、御船さんが自分をどう推測しようと構わないと思い定めているからなのでありましょう。沙代子さんのその言葉を、そう云う言葉であると御船さんは受け取るのでありました。こうして沙代子さんは御船さんの前に自分をきっぱり閉ざしたわけでありますから、もう万事休すだと御船さんは心の中で云い捨てるのでありました。
 沙代子さんが腹を割って相談してくれれば、御船さんは沙代子さんが合気道部を辞めることを非難も慰留もしないで、寧ろ沙代子さんのために出来るだけのことはしてあげる積りであったのに、挙句は最も残念な結果にたち至ったようでありました。御船さんは席を立つのでありました。膝がテーブルの隅に当たって、上に載っている二つのーヒーカップが煩く騒ぐのでありました。
「これ以上の話は無駄だろうし、沙代子も俺から早く解放されたいだろうから、もういいよ。小島先輩には適当に、今日の話の結果を報告しとくよ」
 御船さんはそう意ならぬ冷めたい調子で云って、テーブルの傍らに伏せてある会計伝票を取り上げるのでありました。沙代子さんも力なく立ち上がるのでありました。
 二人は喫茶店を出るとそこで別れるのでありました。沙代子さんは坂道の上に在る駅に向かって歩きだすのでありました。御船さんは一度もふり返らない沙代子さんの後ろ姿を、沙代子さんが人波に紛れるまで何時までも見送っているのでありましたが、その姿を見失うと、大学の方へ向かって坂を下って行くのでありました。

 海からの風が斜面を吹きあがって来て、公園の木蔭の中の御船さんと沙代子さんの前髪をまた乱すのでありました。沙代子さんは下界の風景からゆっくり目を離して、少し顎を上に向けて遠い空を見るのでありました。
「あたしが合気道部辞めた時さ、御船君、小島先輩になんか云われた?」
「いやあ、特には」
「小島先輩にあたしの慰留に失敗したこと、責められなかった?」
「うん、特には。ただ横に今福先輩が居て、なんか皮肉みたいなことを云われたよ」
「皮肉って?」
「いや、云われた言葉はもう忘れたけど、お前には影響力がないなとか、なんかそんな感じのことだったかな」
「影響力?」
「つまり、お前の気の力とやらも大したことないなあってそう云うことだろうな。ほら、俺がさ、日頃から合気道のことに関しては先輩も後輩も関係なく、なんか偉そうなご託をよく垂れていたからさ、それと絡めて皮肉られたんだろうな」
 御船さんはそう云って、すぐ傍の沙代子さんの横顔を見るのでありました。
(続)
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