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大きな栗の木の下で 6 [大きな栗の木の下で 1 創作]

「大学出た後、合気道続けなかったの?」
 沙代子さんが首を傾げて聞くのでありました。先程の風の後、沙代子さんは一度乱された髪を指で掻き上げたのでありましたが、その仕草でまたもや前髪が眉にかかるのでありました。
「こっちに帰ってからは一切やってないよ。こっちにも市民体育館で合気道やってる社会人のクラブがあるんだけど、俺等が大学でやっていた合気道とは流派が違うから、なんとなく行かない儘、今まで時間が経ったと云う感じかな」
 御船さんはそう云ってから改めて沙代子さんの顔を見るのでありました。「沙代子は、あれ以来、合気道はやらなかったのか? ま、やるわけないか」
 沙代子さんは大学三年生の夏合宿の後、合気道部を辞めたのでありました。
「うん。とてもそんな余裕なかったし」
「ああそうか。なんか人づてに噂はちらっと聞いたことあるけど、沙代子も結構大変だったってなあ、色々あって」
「うん、そうね。色々あったわね」
 沙代子さんはそう云って眼下に広がる下界の風景に視線を馳せるのでありました。

 大学に近い大きな喫茶店の奥まった席で、御船さんは苛々しながら学生服の詰襟のホックを外すのでありました。
「お前、なんで辞めんだよ、合気道部?」
 御船さんがそう云った時、丁度注文したコーヒーが運ばれてくるのでありました。ウエイトレスが先ず御船さんと向かいあう席で俯いている沙代子さんの前に白いコーヒーカップを置き、それからゆっくりした動作で御船さんのカップをテーブルに載せるのでありました。ウエイトレスは一礼して去るのでありましたが、御船さんはウエイトレスの動作の間中、そのおっとりした動きがやけにもどかしくて、テーブルの上に置いた手の人差し指の腹で、テーブルの上をコツコツと苛立たしげに叩いているのでありました。
「なあ、沙代子、なんで辞めるんだよ?」
 御船さんはもう一度沙代子さんに詰め寄るような口調で聞くのでありました。沙代子さんは一度顔を上げたのでありますが、すぐにまた力なく項垂れるのでありました。
「黙ってないで、なんか云えよ」
 本当はこんな詰問口調で沙代子さんと話したくなんかないんだけどなと、御船さんは内心思っているのでありました。沙代子さんが仕方なくと云った感じで顔を起こすのでありました。沙代子さんの悲しそうな視線を顔に受けると御船さんは思わず動揺してしまうのでありましたが、それは体面上億尾にも出さないで沙代子さんを睨むのでありました。
「何時まで黙っていたって、仕方ないだろうが」
「なにを説明していいのか、それとも説明する必要なんかないのか」
 沙代子さんはそう云って視線を横に流して御船さんの目から逃れるのでありました。「あたし、よく判らないのよ」
(続)
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