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大きな栗の木の下で 4 [大きな栗の木の下で 1 創作]

「そう、沙代子よ。もう忘れたの、あたしの顔?」
 御船さんはようやく破顔するのでありました。忘れるはずのない顔であるのに。
「いや、ずっと逢ってなかったから、咄嗟に判らなかったんだ」
 御船さんはそう云って一つ瞬きをするのでありました。「本当に、久しぶりだなあ」
「八年ぶり、ううん、九年ぶりかしらね」
「そうだよなあ、その位になるよなあ。大学生の頃以来だから」
「どうしたの、声?」
 沙代子さんは首を傾げて御船さんを見なが聞くのでありました。沙代子さんの前髪が少し動いて眉を隠すのでありました。
「うん、病気して、こんな声になっちゃったんだよ」
「病気って?」
「髄膜炎」
「髄膜炎?」
 頭には骨の内側に硬膜、その下にクモ膜、それから脳に付着するように軟膜と云う三層の膜があって、その軟膜に細菌性の炎症が起きると云う病気であると、そんな説明をしても話がややこしくて冗長になるだけのように思って、御船さんはどう簡潔に髄膜炎と云う病気を説明したら良いのか少し迷うのでありました。
「脳を包んでいる膜の病気だよ」
「脳を包んでいる膜?」
 矢張り上手く伝わらないようであります。
「要するに、ここがおかしくなる病気だよ」
 御船さんは自分の頭を人差し指で軽く二三度突いて見せるのでありました。「と云っても、オツムの働きが妙ちきりんになるんじゃなくて、あくまで脳外科的な病気だからな」
 これは沙代子さんを笑わそうと思ってふざけた動作をしながら冗談めかした口調で云ってみたのでありましたが、それを聞く方にしたら、自分の口から放たれる普通ではない嗄れ声の方に多くの注意を奪われて仕舞うであろうから、あんまり笑えるような軽やかな感じにはならないだろうなと、云いながら御船さんは思うのでありました。
「脳外科的な病気? なんかそう聞くだけで大変そうな病気ね」
「半年、入院してたんだ」
「半年も!」
 沙代子さんは傾げていた首を真っすぐにして、眉根を寄せて驚くのでありました。「それじゃあ、とんでもなく大変な病気なんじゃない」
「うん、大変だったよ、確かに」
「声もそうだけど、そう云えば、なんか前に比べると、随分痩せちゃったわよね」
 沙代子さんはそう云って一端御船さんから目を逸らして、それから再び視線を御船さんの顔に戻して真顔で続けるのでありました。「もう、いいの?」
「うん、頭の方はいいんだけど、なんせ入院が長かったんで、体の方がガタガタだよ」
(続)
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