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大きな栗の木の下で 2 [大きな栗の木の下で 1 創作]

 病院のベッドの上で意識が戻るまでに、もうかなりの時間が経過していたのでありました。意識状態はほぼ復したものの、体は麻痺したように動かないのでありました。御船さんの闘病生活の始まりでありました。
 半年後にようやく医師から恢復を宣されて退院の目途が立った時には、御船さんの体は驚く程衰弱しているのでありました。長期間寝た儘であったから、先ず体中の筋肉と云う筋肉が総て委縮し硬化しているのでありました。暫くの時間座っているだけでも苦痛なのでありましたし、同じ姿勢を長時間続けているのも叶わない状態なのでありました。
 加えて姿勢を変える動作が、これまた難儀なのでありました。自分の体を動かすことがこれ程大変になって仕舞ったと云うことに、御船さんにはひどく驚くのでありました。寝ていても、痩せ細って固まった筋肉の繊維が悲鳴を上げるのでありました。
 長い間栄養補給のために喉に管を通していたので、御船さんの声は潰れて仕舞うのでありました。それは言葉を発すると云うよりは、呼気の雑音と云う方が正しいようなものなのでありました。呼吸自体も、浅く早いリズムでしかなせなくなっているのでありました。
 これを恢復と云うのかと、御船さんは医師の言葉を懐疑するのでありました。髄膜炎と云う病因そのものからはなんとか脱出したものの、その後に残った自分の体のあり様と云ったら、それはとても健常とは云い難いのでありました。しかし一つの致命的な病因がその体から離れた以上、他の致命的でない様々な不都合が残っていても、或いは不測に生じていたとしても、それでも病院は出なければならないのでありました。
 家に戻った御船さんの生活は、病院に居た時と殆ど変化してはいないのでありました。しかしそれまでの過酷な経緯を思えば、家族は御船さんに強いて積極的な病後回復のための課題を課すことはないのでありました。御船さんは退院後の一月、病院に検診に行くこと以外全く外へ出ることはないのでありました。だから御船さんの体は益々、弱るのでありました。
 早期に社会復帰したいと云う意欲は、意外にも少しも頭の中に湧き上がってこないのでありました。御船さんは自分の頭蓋の内側に、焦る気持ちが全く生成されないことを不思議に思うのでありました。仕事の上では一年間の休職が認められているのでありましたから、後五ヶ月程はその儘生活していても失職の心配はないのでありました。しかし一年を経過して休職扱いが取り消されて、その後自然退職と云うことになったとしても、まあ、それはそれで構わないかと御船さんは秘かに思っているのでありました。
 考えてみたら子供の頃から、自分は大層な怠け者であったと思い当たるのでありました。少しでも余計に怠けることばかり考えて、今まで世過ぎしてきたなあと御船さんは思い返すのでありました。そう云う性質に生れついたのでありましょう。
 しかし家族や周りの人達には、少しは社会復帰のための努力をしているところを見せなければ体裁が悪いから、御船さんは山歩きと云うトレーニング方法を試みる自分を演出するのでありました。しかしこれはあくまで演出であったから、御船さんは公園に到着すると栗の木蔭の中に寝そべって動かなくなって仕舞うのでありました。それだけで確かに息は切れるのでありましたが、動けなくなる程の消耗は実はないのでありました。
(続)
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