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「四月廿九日。祭日。陰。」11 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 二口煙草をふかして男はもうそれ以上飲む気を失うのでありました。煙が腹に入ると、それは腹痛と息をあわせて体の中で暴れようとするのでありました。男は畳の上の吸い殻が山になった灰皿をちらと見てから、そこへ捨てるのを諦めて体を捻って火鉢の中に煙草の吸いさしを放るのでありました。顔を顰めて男は首を落とすのでありました。
 先程一気に飲み下したコーヒーが、海から岸に寄せる漣のように胃壁を洗う感覚があるのでありました。それは洗うと云うよりは胃壁の厚みを溶かしていっているようにも思えるのでありました。男はコーヒーを胃に入れたことを後悔するのでありました。
 火鉢に擦り寄って体を丸めて手を翳すのでありました。火鉢の熱を腹に受けようともするのでありました。温めることで腹痛が和らぐのを期待してのことでありました。火勢が弱くなるのを恐れて、男は炭を足そうと横の炭入れの籠を見るのでありました。そこにはもう一本も炭はないのでありました。
 台所には炭を一杯に入れた木箱があるはずでありましたが、そこまで行く気力が男には湧いてこないのでありました。火鉢の火を見ながら、この火が消えた時、同時に自分の命もこの世から消滅するのかも知れないと思うのでありました。生への執着はなくなっているはずでありました。しかしいざその瞬間がリアルにすぐそこまで近づいてきているのだと考えると、男はたじろぐのでありました。恐怖に、思わず身震いするのでありました。
 まさかこの儘死ぬとは限るまいと思いなおして、男は身震いを必死に止めようとするのでありました。今までだってどんなに激しい腹痛も、必ず治まってきたのであります。今回だって屹度鎮静するに違いありません。
 しかし今のこの痛みは、これ迄の食後の痛みではなくて、食事とはなにも関係のない時間に突然襲ってきたものであります。今までの腹痛が必ず治まってきたからと云って、それがこの今の腹痛にも適応できるかどうか、それは判らないではないかとも男は考えるのでありました。
 元々の、年齢に依る体の虚弱化と風邪による更なる衰弱、その後毎日の日課になってしまった腹痛、そして、その日課とは別の新たなこの今の腹痛。男はその発生までに辿った道筋を思うと、段々と窮地に追い詰められているような気になるのでありました。もしも幸いにしてこの新たなる危機を遣り過ごしたとしても、その先の段階では、遂に自分の命がこと切れると云う事態を想定せざるを得ないのでありました。それもごく近い将来。
 それでも兎に角、今はこの腹痛をなんとか宥めなければならないのであります。男は胸が火鉢に接触する程に背を丸めるのでありました。赤く燃える炭が顔を火照らせるのでありました。暫くそうしていても一向に腹痛が治まらないので、男は緩慢な動作で火鉢に背を向けるのでありました。今度は腰を温めてみようとするのでありました。
 腰に火鉢の熱が浸みこむのでありました。これは効果があるかも知れないと男は期待するのでありました。男は片手で腹を抑えて、片手は布団についた儘、胡坐をかいた足の上に顔を埋めるくらい体を屈するのでありました。この姿勢は窮屈で息苦しくはありましたが、腹痛から気持ちを散らすには好都合な格好でありました。この儘この姿勢に耐えられるだけこうしていようと、男は腰に広がる暖かさに身を任せながら思うのでありました。
(続)
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