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家が建つぞ(2) [時々の随想など 雑文]

 暫く経って久しぶりに、大工の棟梁の娘婿の姿を工事現場に見るのでありました。彼は棟梁の指示に何度も頭を下げ、おどおどと従い、その態度は如何にも恐懼甚だしいと云った風なのでありました。只その顔は、人相を見違える程に腫れあがっているのでありました。片頬が赤く異様に膨らみ片目は腫れて、紫色になって肥大した瞼が目を覆い尽くしていて、額の至る所に生々しい傷が浮いているのでありました。それは義父にして工事の差配者たる大工の棟梁によって手酷く折檻された痕であることは、小学校六年生にも容易に推察出来るのでありました。
 棟梁は娘婿より矮躯で、その頭頂は娘婿の肩を少し出る位までしかないのであって、娘婿の筋骨隆々たる胸板や腕に比べれば、確かに肉体を酷使する職人の体ではあっても、それは矢張り痩せ気味の初老の男の体格なのでありました。義父にして棟梁と娘婿にして下僚である双方の弁えはあるにしろ、しかしこれ程までに手酷く打擲してその仕置きに一切逆らわせないでいられる棟梁の気魄を、拙生は秘かに大いに畏怖するのでありました。
 しかしこの棟梁も娘婿の左官も、非常に優しい人でもありましたか。と云うのは、棟梁の方は横にいて興味津津にその仕事を見ながら話しかける拙生が、昨日段ボール箱の中で飼っていたひよこが、暖を与えるために置いていた湯たんぽの下敷きになって死んでしまったと訴えると「ああ、そうね」と云って、急に傍らの余り木を取って瞬く間に小さな卒塔婆を拵えてくれるのでありました。竹箆を墨壺につけて「ひよこの墓」と綺麗な文字で書いた後、棟梁が「埋めた処に、こいば立てとかんばばい」と云って渡してくれるその小さな、しかし精巧に本物の形を模した卒塔婆を拙生は感動して押し頂くのでありました。
 また矢張り傍で仕事を見ていた拙生に、棟梁は「坊も釘ば打ってみるや?」と出し抜けに聞くのでありました。棟梁は拙生のことを「坊」と呼ぶのでありましたが、こんな呼称でそれまで呼ばれたことがなくて、拙生はなんとなくその呼び方に違和感を持っていたのでありましたが、まあそれは兎も角、拙生が大いに乗り気で頷くと、壁土を塗る土台の板に打つ釘を一本打たせてくれるのでありました。なにやら大事な仕事を任せられたような気になって、拙生は緊張して棟梁の持つ釘の頭に金槌を打ちつけるのでありました。
 また娘婿の左官はと云えば、両手に夫々持った鏝と鏝板をリズミカルに動かして、塗りつける前にモルタルや壁材を念入りに捏ねるその仕草が、拙生としては大いに興味をそそられる仕草でありましたが、彼は怖い顔に満面の笑みを湛え、拙生を手招きしてその手ほどきをしてくれたりするのでありました。「結構筋のよかばい、坊は」と彼も棟梁に倣って拙生のことを「坊」と呼ぶのでありましたが、それは兎も角、拙生の手捌きを大いに褒めてくれるのでありました。拙生はこの軽妙な手の操作がなにやら如何にも職人芸に見えて、この仕事を一生の仕事として選択せんかなと本気で考えたりするのでありました。
 それからもう一つ、殆ど毎日昼の弁当の時間にお茶を、三時のおやつ時間にもお茶と茶菓子を仕事に来た人達に振舞うのでありましたが、これは母親の仕事で、殆ど毎日それを出すものだからおちおち外出も出来なければ、菓子をそれなりの量用意するお金もかかって叶わないと頻りにこぼすのでありました。しかし拙生としてはそのお零れに与ることも間々あったりして、これは大いに嬉しい風習であると思うのでありました。
(続)
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姥桜のかぐや姫

おはようございます
ご無事でしょうか
あまりの大規模な災害に驚いております
ブログメイトの皆様の安否が気になってなりません
by 姥桜のかぐや姫 (2011-03-12 10:00) 

汎武

ご心配頂き恐縮です。
当方は置時計が倒れていたくらいで特に被害はありませんでした。
尤も地震当日の稽古は出来ませんでしたが。
by 汎武 (2011-03-12 13:55) 

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