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石の下の楽土には 93 [石の下の楽土には 4 創作]

 二基の墓の花立てには花がないのでありました。島原さんが墓地を訪れなくなってから大分経つので、管理の人が枯れ果てた花を撤去したのでありましょう。島原さんが逃げるようにここから去ったために、娘の家族の墓の納骨棺の上に置いた儘にしていたと云う項垂れた二本の花も、だから当然一緒にそこから取り払われているのでありました。
 拙生は松浦家と彫ってある墓の基部を懐中電灯で照らすのでありました。それから鼻から一杯に空気を吸いこむのでありました。これは若し娘が墓の中に入っているとするなら、只ならぬ臭気が、屹度拙生の鼻の奥に感じられるかもしれないと思ってのことでありました。しかし何度か注意深く匂いを確認するのでありましたが、それらしい異臭はなにも感じないのでありました。
 この点については、島原さんが突拍子もないその思いつきを拙生に語った晩、実は疑問として拙生が島原さんに問うたところでもあったのでありました。しかし島原さんはその時は、自分が旧海軍に居た時に聞いた話を紹介して、密閉がちゃんとしていれば、誰も臭気に気づくことはないと断言するのでありました。
 島原さんは旧海軍に居た時、一緒の艦に乗っていた同僚の兵から或る自殺者の話を聞いたのでありました。それは陸戦隊の訓練で、その猛訓練に耐えかねて自ら命を絶った兵隊の話でありました。
 無人島でのサバイバル訓練で、確保した食料をなるべく長持ちさせるために、ドラム缶を幾つも地中に埋めてそこへ食料を貯蔵するようになっていたのでありましたが、その空になって放棄されたドラム缶の中で、その兵は自ら頸動脈を銃剣で切って果てたのでありました。彼はドラム缶の蓋を閉めた後、異臭が外に出ないように周到に粘土で内側から目張りをしていたのでありました。そのために彼の目論見通り異変を誰にも気づかれることなく、彼は彼の企画を全うしたと云うのでありました。彼は訓練が終わって撤収が完了するまで、脱走兵として認識されていたのでありました。
 だから臭気に関しては、それを周囲に気づかせない方策はあるのだと島原さんは拙生にきっぱりと云うのでありました。それはそんなこともあるかも知れないけれど、大方の場合は、そんなに上手くいくとは限らないものではないかしらと拙生は思うのでありました。しかしそう云ったところで、その時の島原さんは自分の推論以外を一顧だにしないだろうと考えて、まあ、そんなことも場合によってはあるかも知れませんがと、拙生は完全に納得したのではないことを曖昧に伝えるだけなのでありました。
 懐中電灯を持つ拙生に、全く異臭は感じられないのでありました。しかし娘が蓋の目張りに成功したのか、それとも、要するに中に居ないのかは、この段階では未だ確定は出来ないと拙生は考えるのでありました。
 納骨棺の蓋の周囲を懐中電灯を近づけて調べてみると、確かに目地を埋めるモルタルは綺麗さっぱり剥がれているのでありました。それから蓋の置き方の歪みも、拙生は島原さんがしたのと同じ要領で、指を遣って調べてみるのでありました。これも確かに、微妙に在るべき位置からずれているのでありました。触った指から御影石の氷のように冷たい感触が、拙生の血管の中に流れ入ってくるのでありました。
(続)
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