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石の下の楽土には 89 [石の下の楽土には 3 創作]

 島原さんは一向に現れないのでありました。拙生は大いに心配するのでありましたが、しかし島原さんが娘と連絡をとる手段を持っていなかったように、拙生は島原さんの消息を知る手立てをなにも持っていないのでありました。住所とか電話番号とかをそれとなく前に聞いておけばよかったと思うのでありましたが、それは思っても今更詮ないことなのでありました。
 心労が募ると老人のことでありますから、いや老人に限ることではないでしょうが、体調を崩すこともあるかも知れません。云ってみれば勝手に自分で考えついた突拍子もない思いこみではありますが、そのために墓地にも行けず、一般的にこの先そう長くもないであろう余生を心安らかに過ごせないでいるかも知れない島原さんが、拙生はひどく可哀想に思えるのでありましたし、拙生の心配は日毎に大きくなっていくのでありました。
 拙生は就職活動の本格化を理由に『雲仙』でのアルバイトを、週に二日間少なくし貰うのでありました。本当は半減といきたかったのでありましたが、急にそう云うわけにはいかないでありましょう。拙生の手が減った分、小浜さんとしては新しいアルバイトを雇ってそれを埋めなくてはならないだろうし、その新しく雇ったアルバイトがいきなり拙生のしていた仕事をそつなくこなせるとは限らないでありましょうから。
 しかし就職活動本格化の実態はさて置き、拙生はなんとなく気が楽になるのでありました。小浜さんとの微妙な気持ちの齟齬が少々重荷にもなっていたし、なんとなくカウンターの内側に居辛い思いもありましたし。なにより薬屋の主人の声を毎日聞かないで済むと云うのが、拙生の気分を結構さっぱりさせるのでありました。しかし島原さんのことは矢張り頭から離れないのでありました。
 さて序でに云い添えれば、就職活動本格化でありますが、要するに今までよりも少し熱心に新聞の求人広告覧を眺めていると云うのが、その実態なのでありました。別に企業に電話をかけまくって、スーツを着こんで面接に動き回ると云うことでもなく、大学時代の卒論の担当教授に相談をしに出かけると云うことでもなく、職安に通うのでもなく、要するに寝そべって新聞を繰っているだけなのでありますから、これは云ってみればアルバイトを二日減らして、その分長閑な時間を楽しんでいるのとそう変わらないのでありました。
 居酒屋『雲仙』には新しいアルバイトが入るのでありました。ようやく二十歳になったばかりの、少し目に険のある、柔道整復師の専門学校に通っていると云う男の学生でありました。当初は週に二日、拙生の居ない日に慣らし旁、拙生のしていた仕事を代わるのでありましたが、拙生が見るところ、なんとなく大雑把な性格で、あまり色んなところに気が回ると云うタイプではないのでありました。しかし彼の意気ごみたるや大したもので、本当は柔道整復師になるよりは飲食店で働いて、行く々々は自分の店を一軒持って、それをチェーン展開して大勢の人を顎で使うのだと、ぬけぬけと、いや、あっけらかんと、いやいや、情熱的に、聞いてもいない将来の夢とやらを披露してくれるのでありました。
「ああ、そう。・・・まあ、頑張れよ」
 と、これは小浜さんと拙生が壮大なる夢を語る彼に対して云った銘々の、たじろぎながらの激励の言葉でありましたが、久々に小浜さんと拙生の見解が一致するのでありました。
(続)
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