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石の下の楽土には 77 [石の下の楽土には 3 創作]

「今日は少し早仕舞いさせていただきます」
 出来上がった島原さんの燗のお代わりを拙生から受け取って、島原さんの猪口の横に置きながら小浜さんが云うのでありました。
「ああ、そうなんですか」
「へえ、ちょっと野暮用があるもんで」
 その小浜さんの野暮用と云うのは当然、スナック『イヴ』の三周年記念パーティーに行くことなのでありました。
「じゃあ、これを空けたら失礼させていただきますよ」
 島原さんはそう云って今出て来た徳利を触るのでありました。
「いやまあ、ごゆっくりされていて構いませんけど、アタシは先に失礼するかも知れません。後はこの秀ちゃんが何時もの閉店まで居ますから、お酒の方は存分に召しあがって頂いて結構です。但し料理はお出し出来なくなります。それにお酒のお相手も」
 酒だけは存分に構わないけれど、料理と話し相手はご勘弁をと云われれば矢張り長居はし辛いよなと、拙生は小浜さんの云い方にさっぱりしないものを感じるのでありました。結局早く引けてくれと云っているようなものではありませんか。
 島原さんは冷や奴には殆ど手をつけずに、寡黙に二本目の徳利の中身をちびりちびりと減らしているのでありました。そんな島原さんに小浜さんは何時もみたいに話しかけるでもなく、時々壁の時計を気にしながら、こちらも自分の仕事を黙々と続けているのでありました。
「済みませんが、もう一本、頂いてもいいでしょうか?」
 二本目の徳利を空けた島原さんが、云いにくそうに小浜さんに聞くのでありました。
「はい、熱燗もう一本、承りました!」
 拙生が小浜さんより先に、少し威勢良くそう云うのでありました。島原さんはお客なのでありますからそんな遠慮がちにではなく、もっと威張ってお代わりを要求すればいいのにと拙生は思うのでありました。
 島原さんは三本目も寡黙に俯いたまま、ちびりちびりを敢行しているのでありました。それはゆっくり酒を楽しんでいると云うのではなく、まるで、なにかある一所に止まろうとする考えを先に繰り遣るために、時々手を動かすことによって思考にも動きをつけようとしていると云う風に見えるのでありました。そんな島原さんを時々見遣る小浜さんの目が、なにやら厭わしげであるように思えるのは、これは拙生の考え過ぎでありましょう。
「なにか肴をお造りしますか?」
 小浜さんが島原さんに聞くのでありました。「ぼちぼちアタシはご免を蒙りますので、もし料理の追加があれば、今の内に承りますが」
 小浜さんが来る客来る客に今日の早仕舞いを念押しするものだから、遂にその日はもう、残っている客は島原さん一人になっているのでありました。
「いや、料理は結構です」
 島原さんは今気がついたように、客がもう誰もいない店内を見渡すのでありました。
(続)
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