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石の下の楽土には 75 [石の下の楽土には 3 創作]

「随分、久しぶりじゃないですか」
 拙生が話しかけると島原さんはようやく笑顔を見せるのでありましたが、その笑いはどこか表情に鈍さが漂っているのでありました。
「熱燗をください」
 島原さんはそう云って拙生から目を逸らすのでありました。
「はい、すぐ持ってきますね。それから後で鍋焼き饂飩を出しますか? それとも、もし鍋焼き饂飩がお嫌なら、なにか他のものにしましょうか?」
「いや、取り敢えず熱燗だけをお願いします」
 島原さんはそう云うと俯くのでありました。明らかに、以前とどこかしら様子が違っているのでありました。
「なんか変ですよ、今日の島原さんは」
 拙生は小浜さんに云うのでありました。小浜さんは薬屋の主人との会話を暫し中断して、壁際の席で蹲るように座っている島原さんの背中を見るのでありました。
「そう云えば、ちょっと気落ちしているような感じに見えるなあ」
「どうしちゃったんでしょうかね?」
「さあ、判らないけど」
 小浜さんは云い終らない内に島原さんから目を逸らすのでありました。
「ほんじゃあ、俺達はぼちぼち『イヴ』に行ってるぜ」
 薬屋の主人が小浜さんに云って席を立つのでありました。釣られるように時津さんと高来さんも立ち上がるのでありました。これからスナック『イヴ』の三周年記念パーティーに三人して向かうのであります。
「アタシも後で伺いますから、それまでに散々飲んで、アタシが行く頃にはもう三人共すっかり酔い潰れていてくださいよ。そうじゃないと、ママと差しでじっくり話をしながら、アタシが美味い酒を飲めなくなるんだから」
「そうはいくかい。冗談じゃない。丁度佳境に入った辺りで、ママと俺は良い感じになっているし、こいつ等もオヤジが来たことも気がつかないくらい、がんがん歌って楽しんでるよ。尤も肉屋はひょっとしたら酔い潰れているかも知れないけど」
「おいおい、朝まで盛り上がるんだから、俺がそんなに早く潰れるわけないだろう」
 肉屋の高来さんが薬屋の主人にそう抗議するのでありました。
「ま、いいや。ほんじゃあ先に行ってるぜ」
 薬屋の主人がそう云って拙生をちらと見るのは、勘定をしろと云うことでありましょうから、拙生は脇に置いてある伝票を見ながら金額を集計して、それを一番下に書き入れ、薬屋の主人の方に差し出すのでありました。
「この数字を、きっちり三で割ってくれや」
 薬屋の主人は伝票の数字を見て、そう云って再びそれを拙生に戻し、それから拙生の云うきっちり一人前の金額を、カウンターの空の徳利の横にぞんざいに置くのでありました。時津さんと高来さんもそれに倣うのでありました。
(続)
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