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石の下の楽土には 57 [石の下の楽土には 2 創作]

 小浜さんは憮然として拙生にそう返すのでありました。
 しかし拙生にはどう見ても小浜さんが、云う程家庭生活に倦んでいる風には見えないし、寧ろ奥さんと二人の娘さんに囲まれて、休日には好きな魚釣りを楽しむ今の生活に、大いに満足しているとしか思えないのでありました。それは小浜さんなりに、小さな不平不満は幾つかあるにしろ。
 スナックのママと不動産屋の社長と薬屋の主人の席から、店の中に漂う緩やかな空気を無粋に掻き回す不協和音のような、ママの発する笑い声とそれに和する薬屋の主人の甲高い笑い声が、カウンターの中まで聞こえて来るのでありました。
「なかなか盛り上がっているねえ」
 小浜さんが拙生に云うのでありました。
「この店の何時もの静かな雰囲気には、ちょっと馴染まない感じですけどね。ま、お得意さんあっての商売だから、仕方ないですけど」
 拙生は席の三人の無神経さに少し眉を顰めて見せるのでありました。ママは初めてだから仕方ないとしても、薬屋の主人は散々この店に通っているくせに、この『雲仙』と云う居酒屋の美質がなんで未だ理解出来ていないのでありましょうか。
「ま、賑やかなのも、偶には良いかも知れない」
 小浜さんが寛容なことを云うのでありました。
「他のお客さんが白けるんじゃないですかね」
「まあ、そんなでもないだろう」
 小浜さんがそんな大らかな態度であるのなら、どうこう云う筋あいは拙生にはどこにもないのであります。それに店の立てこみ方もやや潮引け時であるようで、他にはカウンターに座っている一人客と、件の三人の席とは離れた席に二人連れの客が居るだけでありましたから、そんなに大仰に三人の不躾をあげつらうこともないのでありました。しかしそれだから余計に、拙生には三人の嗜みのなさが気になるのでありましたが。
「ああやって一見楽しげで和気藹藹なようでも、不動産屋の社長と薬屋のご主人の間で秘かに、ママの気を引こうとして、屹度鞘当てが火花を散らしているんでしょうね」
 拙生は小浜さんに云うのでありました。
「そうかも知れないな」
「なんか、ちょっと近づきたくない光景ですね」
「そう云うなよ。男なんてものはそう云う生き物なんだから。どうせ男と生まれたからには、目の前に色っぽい女が現れればついフラフラっとするし、喋喋喃喃と話がしてみたいと、そう考えるのが普通だよ。俺もそうだし。云ってみれば男にとってはそれこそが、この世の第一の生き甲斐みたいなところもあるだろう。女も多分そうかも知れない」
「この世の第一の生き甲斐ですか。ふうん、そんなもんですかねえ」
 拙生はそう返しながらなんとなく、島原さんと島原さんが墓地で逢う娘のことを考えているのでありました。
 ・・・・・・
(続)
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