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石の下の楽土には 56 [石の下の楽土には 2 創作]

「部屋替えの相談なら、当事者の女の子がすればいいのに」
 小浜さんがそう云うのでありました。薬屋の主人がカウンターの椅子に尻半分だけ乗せて浅くしか座らないのは、燗が出来上がったらすぐに立って、それを持ってまた向こうの席へ戻るためなのでありましょう。
「ま、ママもあれでなかなか世話焼きだからな。それにママが相談を持ちかけた方が、不動産屋の力の入れようが違うだろうって、そう云う計略からだろう。確かに不動産屋のヤツ、ここが一番、頼り甲斐のあるところの見せどころてな感じで、なかなか張り切ってやがるよ。あいつはスケベで単純なヤツだからなあ」
 薬屋の主人はそう云って、不動産屋の社長を哄笑するように片方の唇の端を上に釣り上げて見せるのでありました。
「茂木さんがその相談の邪魔に入っていて、大丈夫なんですか?」
 小浜さんが包丁を洗いながら聞くのでありました。
「構やしないよ。どうせ月いくらくらいの部屋で、この辺のアパートを何時までに、なんて程度で話は終わるんだから。態々ママをここへ誘って承る程のこみ入った話じゃあねえよ。不動産屋は単に、ママと二人でしっぽり飲みたいだけなんだし。そんな見え透いた魂胆を黙って見過ごせるもんかい」
「なかなかの攻防戦ですなあ」
 小浜さんは俎板を拭きながら薬屋の主人に笑いかけるのでありました。
 薬屋の主人は出来上がった、湯気の仄かに上がる日本酒の徳利の注ぎ口を親指と人差し指の二本で摘むと、それを両手に一本ずつ下げてスナックのママと不動産屋の社長の席へ戻るのでありました。
「確かになんとなく色っぽいよなあ、あのママは。美人と云うわけじゃないんだけど」
 小浜さんが拙生に話しかけるのでありました。「男好きのするタイプってやつだ」
「ああそうですか」
 拙生は今一つピンとこないものだからそう無愛想に返すだけでありました。
「ま、秀ちゃんは当然、中年女の色気なんて云うのは興味もないだろうし、未だ判らないかも知れないけどね」
「どちらかと云うと、あのママは自分の母親に近い歳でしょうから」
「逆に云うと、俺なんか若い女の子なんと云うのは、ウチの娘に近いから色気もなにも感じないけどね。尤も中年女と云ってもウチのカカアは別物だけど」
「またまた。本当は愛妻家のくせに、すぐそう云うことを云う」
 拙生はそう云って小浜さんをからかうのでありました。
「俺が家でどんだけ虐げられているのか、なんにも判っちゃいないくせにそう云うことを云うか、この秀ちゃんは」
「奥さんのことを悪く云うのは、詰まり照れ隠しみたいなものでしょう?」
「俺ん処の実情を知らないくせに、そんな判ったようなことを云うもんじゃないよ。そんな生易しいもんじゃないんだから、実際」
(続)
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