SSブログ

石の下の楽土には 45 [石の下の楽土には 2 創作]

「楽土では、この世の理屈とか道理とかが、屹度消えてしまうんだよ」
 島原さんはなんとなく腕時計に目を落としながら云うのでありました。
「だから、好きになることはあっても、嫌いになることはないって云うわけ?」
「楽土に行った人は皆、否定的なことは考えなくなって、総てのことを、良い方にしか捉えなくなるんじゃないのかな」
 島原さんはそう云いながら、楽土について知りもしないし今まで考えもしなかったのに、そんないい加減なことをここで自分が云って良いのかしらと考えるのでありました。
「それは、この世の人が、この世でそうあって欲しいって考えていることなんじゃないかしら」
 娘が云うのでありました。「あの世じゃなくて、この世の中に願っている理想のようなものにしか、あたしには聞こえない。あの世に、この世とは全く違う理屈とか道理があるのなら、この世であって欲しいこととかあって欲しくないこととか云う基準とは、全然違う基準があっていいんじゃないの? この世に居る良い人の見本のような人達があの世に居るだけなら、それはあの世のことではなくて、単にこの世のことを話しているだけなんじゃないかしら」
 娘にそう云われて、島原さんは腕時計から目が離せなくなるのでありました。確かにこの世でそうあって欲しい人間像とか人間関係とかを、単にあの世に仮託しているだけの話で、あの世の実相とは程遠いのかも知れないと島原さんは思うのでありました。しかし所詮あの世なるものを仮想すること自体がこの世の営為である以上、それはこの世でなかなか実現困難な理想をそこに展開して仕舞うのは、確かに娑婆っ気臭が大いに漂っているとしても、まあ、仕方のないことではないかとも考えるのでありました。だから、楽土と云う言葉も使われるのではないかしら。
「それはそうだね」
 島原さんは腕時計から目を離さずに云うのでありました。「でも、この世に生きていると、疲れることとか目を背けたくなるようなこととかが一杯あって、そんなものから逃れたいって云う願いが、詰まり、楽土って云う考えを生んだんじゃないかな」
「じゃあ、楽土は、本当はないの?」
「それは知らない。行ったことがないから」
 島原さんはようやく娘の顔を見て少し笑うのでありました。しかし、こんなはぐらかすようなことを云って、娘を失望させてしまったのではないかと考えて、すぐに笑いを顔から消し去るのでありました。
「お兄ちゃんやお父さん、それにお母さんは、じゃあ、今何処にいるのかしら?」
 娘が今度は島原さんから視線を外すのでありました。
「君は亡くなった家族が、楽土に居てほしいと思っているんだろう?」
「そうなんだけど・・・」
 娘は墓石の下の納骨棺の蓋を見詰めているのでありました。それはその下の地中にあるはずの楽土に向けられているように、島原さんには思えるのでありました。
(続)
nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。