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石の下の楽土には 31 [石の下の楽土には 2 創作]

 娘は島原さんを瞬きもせずに見つめ続けるのでありました。今の島原さんの言葉が全く耳の中に届いていないように。
「どうせあたしはもう、この世に居ても居なくても、どうでも構わないんだから」
 娘のその言葉は捨て鉢な調子で口から放たれたのではなくて、しごく落ち着いた冷静な口調で語られたのでありました。それだけに島原さんの腹の中にその言葉が重く響くのでありました。
「今の寂しさに負けてそんな悟ったようなことを云ってみたり、投げやりになるのはどうかなあ。君にはこの世で未だ一杯、楽しいことが待ち受けていると思うよ、若いんだから」
「どうかしら」
 娘はそう云って懐疑的な顔をして弱々しく笑うのでありました。
「私みたいな老人が云うのならまだしも、これから後、今の歳の何倍も生きる可能性のある人が、そんな風にこの世と向きあうのはあんまり感心しないなあ。いや、喩え老人が云ったとしても、あんまり聞き心地の良い言葉ではないよ、そんなのは」
「若いから、これから色んな人と出逢うし、色んなことが出来るって云うんでしょう?」
「そうだね、まあ、そう云うことかな」
「でもあたし、色んな人と出会いたくないし、色んなこともしたくないの。本当に」
「そんな風に云うのは、未だ早いと思うけどね、私は」
 島原さんは妙に厄介な処に話が迷いこんでしまったなと思って、心の中で小さくため息をつくのでありました。
「あたしがこの世でやることは、このお墓の前に来ることしかないの」
「だって花屋での仕事もあるし、買い物とか美味しいものを食ったりもするだろう」
「そんなこと、仕方ないから、しているだけだもん」
 島原さんは自分もずっとそうだったなと思うのでありました。仕事も買い物も食事も、その他の生きていく上でこの世でしなければならない様々な営為も、特にやりたくてやっていたのではないのでありました。意欲的に仕事に向きあってきたわけでもなく、激しい恋をすることもなく、欲しいものもこれと云ってなく、食べたいものも特段見当たらない儘、総てに無精に淡白にこの世をずっと過ごしてきたと思うのでありました。だから、娘を諌めようとしても、自分にはその資格も迫力もなかろうと思い至るのでありました。
「お爺ちゃん、怒ったの?」
 娘が黙りこんだ島原さんに云うのでありました。
「いや、そうじゃないけど」
「ね、あたしと話してもちっとも面白くないでしょう。だからあたしは人にも好かれないの。でも、別にいいの、それでも」
「いやいや」
 島原さんは娘の顔を見て優しげな笑いをするのでありました。「君はとても優しい人なんだと云うことはよく判るよ、私には。それにとっても可愛いらしいし」
 島原さんが云うと、娘はそう云う評価は意外だと云うような顔をするのでありました。
(続)
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