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石の下の楽土には 16 [石の下の楽土には 1 創作]

 ところで島原さんには奥さんに対して、払底できない悔悟があるようなのでありました。偏屈で人交わりが苦手で、察しが悪くて、てきぱきと状況にあった適切な行動もとれないこんな自分に嫁したばかりに、凡そ幸福とは云い難い、退屈で苛立たしい人生を送る羽目になったことを、奥さんは屹度悔いていたに違いないと島原さんは云うのでありました。しかし島原さんの奥さんは、会話もなければ共に行動することもない夫に対して、実は島原さんが云う程、それを恨みになど思ってはいなかったのではないかと拙生は考えるのであります。
 島原さんはお子さんがなくなった時、その事実に対して自分がなにも有効な対処が出来なかったこと、自分が涙を流さなかったことに対して、奥さんに自分への拭いがたい不信感と軽蔑が生まれたのだろうと云ったような回想を、不器用な云い方ながら披歴されたのでありましたが、しかしお子さんを亡くされる以前の奥さんは判らないながら、それ以降、確かに奥さんの様子やお二人の関係になにがしかの変化はあったとしても、だからと云って島原さんを嫌いになったり愛想を尽かしたりしたのではなかったのではないでしょうか。奥さんの資質の中にも実は島原さんと同じものがあって、島原さんの無愛想や口足らずや無趣味な一面を、子供を亡くしたのを切っかけに、ひょっとしたら秘かに歓迎されたのではないでしょうか。その方が自分を取り繕う必要もないわけでありますし。
 だから一面、そう云う島原さんと奥さんの関係も、実は気のあった睦まじい夫婦像ではなかったかと拙生は考えるのであります。そうでなければ奥さんは、特に恨みごとを云いつのることもなかったと云うことでありますし、死ぬまで島原さんと一緒に暮らしてなどいなかったろうと思うのであります。まあ、若輩の拙生にその辺の機微を本当に察せられるはずもないのでありますが、しかしなんとなく島原さんの奥さんに対する認識は、かなり思い過ごしの面もあるような気がするのでありました。
 とまれ島原さんはそうやって定年を迎え、年金生活に入ったのでありました。島原さんとしては今までの罪滅ぼしに、これからは奥さんに優しく接して、偶には二人でのんびり旅行などもして、優雅とは云えないまでも、せめて晩年の奥さんの心境を安らかならしめんと目論んだのでありました。しかしどうやってそれを実行に移していいものやら、島原さんにはとんと見当がつかないのでありました。心とは裏腹に、やはり奥さんに対しては相変わらず、無愛想に不親切に振舞ってしまうのでありました。気持ちと行動が統合出来ない自分への苛立たしさや焦り、島原さんがそんな感情に苛まれている内に、あっけなく奥さんはこの世から去って仕舞うのでありました。
 肺と肝臓に癌が見つかった時にはもうかなり末期で、入院後程なくして、奥さんは黄疸と腹水で膨張した腹部がいかにも痛々しい様子で亡くなったのでありました。島原さんの悔悟と云ったら、余人の推し測れる大きさではなかったであろうと思われるのであります。痛手から少しは立ち直る時間と云うものは、優に二年の歳月が必要であったのでありました。そんな経緯が判ってみると、島原さんが週に二回の奥さんの墓参りを欠かさないのは、矢張り島原さんが照れて云うような単なる散歩と云った域を越えたものに違いなかろうと、容易に推測出来るのでありました。
(続)
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