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石の下の楽土には 15 [石の下の楽土には 1 創作]

 島原さんはあまり人と話す必要のない植字工と云う仕事が、大いに気に入っていたとのことでありました。気がつけば朝と仕事終わりの挨拶以外、誰とも喋らない日もあったそうであります。会社の宴会やらも出ないで済むのなら出たくはなかったようでありますが、そうもいかない場合は仕方なく場の隅の方で喋りかけられれば喋るけれど、そうじゃなかったら一人で手酌でゆっくりビールのコップや日本酒の猪口を口に運んで、ひたすら宴のお開きを待っていたそうでありました。だから同僚と仕事帰りに酒を酌み交わすなどということもほとんどないのでありました。どうしても断れない謝恩旅行などの行事もあったけれど、そこでも島原さんは皆の最後尾について観光をし、宴席の隅の方で静かに時が過ぎるのを待っているのでありました。会社の同僚や上司からは人づきあいの悪い偏屈者と云われながらも、それでもそう云う評判も内心は返って有り難いくらいなのでありました。島原さんは出世とか金銭に対する野心とは無縁に会社務めをしていたのでありました。
 しかし本当は島原さんは、もしも会社に小浜さんのような同僚が居たらなら、そんなに人づきあいの悪い仁になることはなかったのではないかと拙生は考えるのでありました。現に『雲仙』では酒をちびちびやりながらの、小浜さんとの四方山話を楽しんでしるように見えますし、島原さんは喋らせればそこそこに饒舌にもなるのであります。
 小浜さんは無類の釣り好きで、ひょっとしたら釣りのためなら居酒屋の仕事も後ろへ回して仕舞いかねないのでありましたが、島原さんにはこの小浜さんにおける釣りのような趣味も道楽もないのでありました。島原さんが人に聞かれていつも難渋した質問と云うのが、その趣味を聞かれることだったそうであります。本当になにもないんだから実に困ったと島原さんは自嘲気味に笑って云うのでありました。一念発起して庭いじりとか囲碁なんかも試みたけれど、なんか退屈にしか思えなかったのだそうであります。と云っても他で時間を有効に使っているとも思えないけれどと、島原さんはこれも自嘲的な笑いを浮かべて云い添えるのでありました。
 お子さんを亡くしてからはずっと奥さんと二人暮らしで、お二人の間には必要な会話以外はなにもなく、ほとんど笑い声も響くことのない家庭だったと云うことでありました。一緒に居間に居ても夫々がてんでの方向に寝転がって、テレビを見ているか転寝をしているかと云った風であったそうです。奥さんもお子さんを亡くされてからは人変わりして、全く無趣味な人となって、外出は日々の買い物だけ、後は殆ど家の外には出ない人だったようであります。掃除が趣味と云えば趣味で、あちらこちらを拭いて回っている姿しか思い出せないなどと島原さんは云うのでありました。
 仕事も引退して、これと云った趣味もなく、それに奥さんを亡くしてからは、老いの侘びしさを濃くしていくだけの今後の一人暮らしへの不安などもあって、ここに来て急に、今まで感じもしなかった人恋しいと云う思いが、島原さんの心の中で急速に膨らんでいったのかも知れません。年齢や生活の変化から来る焦りと云うのか切迫感と云うのか、それが島原さんの中で無視出来なくなっていて、それでこの頃では『雲仙』に毎日顔を出すようになったのではないでしょうか。島原さんは『雲仙』で小浜さんと話をしている間、屹度云い知れぬ不安から束の間解放されているのでありましょう。
(続)
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