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石の下の楽土には 3 [石の下の楽土には 1 創作]

 大学四年生の九月から就職活動が解禁になったのでありました。オイルショック後の不況風がまだ猛々しく街の中を吹き荒れている頃であったから、拙生は幾つかの会社を訪問したのではありましたが、どの会社からも捗々しい求愛が得られずにいるのでありました。尤もこちらにも是が非とも就職を希望すると云う鉄柱のような切迫感もあまりなかったものだし、そう云う拙生ののんびりした心情が面接している先方に見えるだろうから、当然のこととして先方の拙生を観察する目も覚めて仕舞うのは、なんとなく拙生自身にも判っているのでありました。それでも若気の意味不明の頑固さから拙生は敢えて自分を鉄柱に変貌させる、或いはそれを装う気も起こさずに、漫然と同じのんびり態度で会社を訪問しているのでありました。その内こう云った拙生の風味が気に入ってくれる会社もあるだろうと、たかを括っているのは今から思うと偏に拙生の社会に対する甘い観測から来ているのではありましたが。
 十月になって或る会社の就職試験が早速実施されたのでありましたが、拙生はそのペーパーによる一次試験はなんとか合格したものの、二次試験の面接で傲慢なしくじりをやらかして仕舞うのでありました。と云うのは試験官がいやに常套の質問めかして拙生に「尊敬する人物は?」等と聞いてきたものだから、拙生は父母とか大学の卒論の担当教官とか、織田信長だの福沢諭吉だのと適当にありきたりなところを答えておけばよかったのでありましたが、その時ふと思いついた名が「荊軻」でありました。よって一瞬逡巡はしたのでありましたが、遂にその名を口に上せるのでありました。
「ほう、それはどのような人ですか?」
 四人居る面接担当者の内の件の質問をした人が聞くのでありました。
「はあ、中国の戦国時代の刺客です」
「刺客?」
「ええ。三角ではなく刺客」
「始皇帝を暗殺しようとしたヤツだね」
 質問者の隣りに座って居た一番年嵩の人がそうニタニタと笑いながら云うのでありました。この人がこの面接担当者の四人の中で長を務める人かと、拙生はその人物の顔を見ながら思うのでありました。一番貫禄がありそうな風体でありましたから。
「はい、その暗殺者です。ま、失敗したけど」
 拙生はそのニタニタ笑いに同調するようにニタニタと笑い返すのでありました。
「荊軻のどんなところが尊敬に値すると考えるのですかな?」
「壮士で詩人でテロリストと云うのは、なんか心情的にグッと来るものがありませんか?」
 不遜にも、と云うよりは不謹慎にも拙生はそう逆に問い返すのでありました。
「ははあ、そうですか」
 貫禄の御仁は笑い顔で軽く拙生の悪戯を受け流すのでありました。「それじゃあ、荊軻の他に尊敬する人はありますか?」
「そうですねえ、サヴィンコフでしょうか」
 こうなると拙生も殆ど自棄であります。
(続)
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