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石の下の楽土には 2 [石の下の楽土には 1 創作]

 店は『雲仙』と云う屋号なのでありました。居酒屋の構えでありましたが、亭主の小浜さんが云っていたように、或る程度ちゃんとした食事も供する店でありました。東京郊外の住宅地の駅前商店街にある店のためか、会社帰りの独身サラリーマンとかからは、酒ばかりではなくて腹に満足のいく食事の要望も結構あるので、自然に定食風のものも出すようになったのだと、小浜さんは説明するのでありました。
 だったらいっそ店を昼から開けて、昼食を出したらどうかと以前に拙生が提案したのでありましたが、小浜さんはそんな忙しい商売をしていると趣味の釣りにも障るかも知れないではないかと、まるで商売気のないことを云って、端から乗り気薄の風情なのでありました。ま、夕方から店を開けて酒と適当な料理を出してそれで生活が立つなら、それで御の字であると小浜さんは悠然と笑っているのであります。
 そんな小浜さんの緩い雰囲気や、威勢の良い声も出さずにそんなに活気にあふれないこの店の風情にも一定以上のファンは居るようで、繁盛とはいかないまでも、そこそこに安定した商売にはなっているようなのでありました。勿論小浜さんの料理に対する情熱は人に倍するものがあり、酒を飲む雰囲気に対してもかなり気を遣って店創りをしているのではありますが、その表出はそこはかとなく漂う程度に自制されていて、くどさが鼻につかないのであります。そんな小浜さんと店の雰囲気を慕う客も居て当然かなと、拙生は小浜さんの万事に淡白そうな風情を見ていると納得がいくのでありました。小浜さんは五十を少し出た位の歳でありましたか。
 おずおずと店を覗いて、遠慮がちに一合徳利の酒と、小浜さんに勧められた鯖の味噌煮とお新香を、飯つきで食して帰ったのが初めての『雲仙』への来店だった島原さんが、それ以降殆ど毎日、夜の八時位に店を訪うようになったのも、亭主の小浜さんの醸し出す安心感のようなものが気に入ったからでもありましょう。島原さん同様『雲仙』の常連客は、こんな風情の小浜さんが統べるこの店の雰囲気を愛している人達なのであります。
 ですから騒ぐ客は居ないのでありました。大勢で押しかける客もいないのでありました。多くて精々三人客、殆どは一人か二人連れで、静かな笑い声はあってもけたたましい大笑などは聞こえず、皆淡々と日本酒か焼酎かビールをゆっくり賞味し、供された料理に箸を差し入れ、満足して帰って行くのでありました。だから客層としては些か年齢が高い人達が多いのでありましたし、圧倒的に男性客の方が多いのでありました。
 島原さんもそんな客の一人になったのでありましたが、他の客とは少し肌合いが違う所があるのでありました。それは島原さんの食事の流儀でありました。偏執と云うよりは無精と云うべきかも知れませんが、毎日毎日決まって同じ料理を飽くことなく食し続けるのであります。最初の一合徳利と鯖の味噌煮は次の日も次の日もと、延々一月続いたのでありました。その次は白身魚のフライが一月、その後がゴーヤちゃんぷるを一月、そうして今はカツ丼でそろそろ一月が経過しようとしているのでありました。小浜さんが同じものばかりでは厭きるでしょうと、それとなく促して漸くにこの四種の品替えとなったのでありましたが、小浜さんの提案がなかったなら、島原さんは恐らく三月でも四月でも同じものを食して一向に差し障りないと云った風情なのでありました。
(続)
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