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石の下の楽土には 1 [石の下の楽土には 1 創作]

 亭主の小浜さんは洗い物をしている拙生の代わりに燗の上がった一合徳利をカウンターの上に置きながら、店の奥にある壁際の二人がけのテーブル席を指差すのでありました。
「ほら秀ちゃん、これをあそこの島原さんの席に」
 拙生は洗っていた皿を流し場の水切りに立てかけて、はいと小声で返事をするのでありました。それから手拭いを使いながらカウンターを出て、口から湯気のほのかに立ち上る徳利と、大振りの猪口を一つ盆に載せるとそれをそのテーブル席へと運ぶのでありました。
 席には、小柄でもう還暦をとうに過ぎたであろう年格好の男の客が一人、なんとなく行儀の良い居住まいで座って、拙生の運ぶ酒の到着を待っているのでありました。島原さんと云う、もうお馴染みのお客さんでありました。
「お待ち遠さまでした」
 拙生は横に立つと一礼してから、徳利と猪口を島原さんの前に置くのでありました。「一本終わった頃に、何時ものようにカツ丼をお持ちしますか?」
 拙生が聞くと島原さんははいと云って首を一つ縦に振り、その後でどこか恐縮しているような何時もの表情で拙生を見上げるのでありました。
 拙生は了解した旨知らせるためにまた一礼して、カウンターの方へ引き上げるのでありました。
「今日も、後でカツ丼かい?」
 亭主の小浜さんが魚を下ろす包丁を休めて聞くのでありました。
「ええ。何時ものタイミングで」
 拙生はそう返事をしてまた皿洗いの仕事に復帰するのでありました。
 島原さんは半年前位に初めてこの店にやって来たのでありました。夜の八時頃だったでしょうか。暖簾をはねた手つきを頭の横でその儘に、格子戸から遠慮がちに顔だけ中に入れて、初めての客にありがちな不安げな目で店の様子を先ず確認するのでありました。
「いらっしゃい。どうぞ中へ」
 亭主の小浜さんが大声ではなく、寧ろ聞きとるには不都合がない程度の声で新客を店の中へ誘うのでありました。
「ここは酒だけのお店ですか?」
 新客は店の中に幾人か座っている客の夫々のテーブルの上を見回しながら、なんとなく申し訳なさそうに聞くのでありました。
「まあ、酒が主ですが、食事も大丈夫ですよ」
 小浜さんが云うと新客は漸く引き戸を体一つ分入る位に開けて、遠慮がちな風情で店に身を入れるのでありました。一番奥の壁際の二人掛けのテーブルが空いていたので、新客はそこへ着席するのでありました。
「一人ですが、ここに座っても良いですかね、カウンターじゃなくて?」
 新客はもう座ってから、カウンターの内側の小浜さんに不安そうに聞くのでありました。
「ええどうぞ、お好きな処に」
 小浜さんが笑いながら云って新客を安心させるのでありました。
(続)
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