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パイプオルガン・コンサート [本の事、批評など 雑文]

 先日、武蔵野市民文化会館で行われた定例の酒井多賀志先生のパイプオルガン・コンサートに行ってきたのでありました。このコンサートは今回で四十九回目を数え、この回数を見ただけでも、先生の地道な演奏活動とファンの支持の篤さを証明するものでありましょう。来年には節目の五十回を迎えるので、武蔵野市と府中市で二回のコンサートを予定されているとか。今から楽しみであります。
 曲目はオルガンのソロでは、バッハの数曲、それに先生の意欲作である瞑想的即興曲『流離』、アメリカ民謡として、それに讃美歌第二編一六七番『われをすくいし』として愛唱される『アメイジング・グレイス』をテーマとした変奏曲とフーガ等でありました。またソプラノの井上由紀さん、アルトの奥野恵子さんを迎えて、バッハ、ペルゴレージ、ヘンデル、メンデルスゾーン、フランク等の曲、それに『荒城の月』『夏の思い出』等の日本の歌との協演もあり、実に楽しいコンサートでありました。
 バッハの曲は、当初バッハの忠実な演奏家たらんとして出発された先生の実績が、どの演奏家にもない曲の厚みを保証していて、毎度のことながら聞き惚れる内容でありました。瞑想的即興曲『流離』は以前先生にCDを頂いて、普段からよく聞く曲でありますが、一途に自分の道を歩もうとする人間の情熱を、松尾芭蕉の辞世「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」に託して、日本の四季の情感の中に表現した先生の意欲作であります。日本人のオルガン奏者たる自己を見つめ、その不可避の条件の下で、西洋楽器オルガンへの情熱を鍵盤に接する手足に籠められる先生の覚悟と心境が生み出した名曲であります。因みにこの曲はオックスフォード大学出版局から、日本人では最初に楽譜が出版された曲であります。
 もう随分前でありますが、拙生は松尾芭蕉『おくのほそ道』の旅程や宿泊場所、宿泊日数、巡られた故地等を、文献の上のみではありましたが少々綿密に辿ったことがあるのでありました。因って芭蕉の辞世をイメージして作られたと云われると、かなりの親近感と同時に、芭蕉に対する理解と云う点に於いてある種の張り合い意識と云うのか、対抗感のようなものをも持つわけでありますが、曲としての深みに浸っていると、そんな狭量な気持ちの棘が融解していって、純粋に音を楽しむ気分になるのであります。聞きながら改めて酒井先生の音楽の厚みに圧倒される思いでありました。
 井上由紀さん、奥野恵子さんの歌との協演は、御三方の音楽家としての相手への敬意が醸し出すなんとも云えぬ暖かい雰囲気が、聞いていて心洗われるような清明さを感じさせるのでありました。オルガン演奏と歌の二重奏を聞いていると、ピアノのような促音楽器とは違って、鍵盤を抑えている間はずっと音が出るオルガンのような楽器は、息継ぎのような感じも伝えられて、云ってみれば第三の声として、それはまるで歌の三重奏のようでもあり、曲にある種のシンプルで明快なイメージ性を持たせることが出来るのだなあと思うのでありましたが、こう云うところが宗教音楽にパイプオルガンが向いているところかと、全くの素人考えながら納得するのでありました。
 コンサートの途中、まあ、事なきを得たのでありますが「おや、オルガンが誤作動している」と云う酒井先生の声がマイクに拾われて、少々ハラハラドキドキ。満足感と同時にスリルとサスペンスも、ほんのちょっと味わうことの出来たコンサートでありました。
(了)
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