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枯葉の髪飾りCCⅩⅩⅣ [枯葉の髪飾り 8 創作]

 東京に戻っても拙生は、そこが自分の本来の居場所であるとはなかなか思えないでいるのでありました。大学の教室に居ても友達と喫茶店で話をしていても、電車に腰かけて窓の外を眺めていても、駅前の商店街で買い物をしていても、本屋で並んでいる本の背表紙を順番に追っていても、定食屋で夕飯を食っていても、どこか尻が落ちつかない気分の儘でありました。こんな処でこんなことを漫然としていて良いのかと暫し考えるのでありましたが、いったい何処が拙生の体がきれいに納まる居場所なのか、なにをすれば拙生の気分のざわつきが凪ぐのかはなかなか判らないのでありました。
 東京での生活を放棄して佐世保に帰る妥当な理由も、度胸もまたないのでありました。吉岡佳世の居ない佐世保での生活を考えたら、拙生には気持ちの落ち着く希望はその地にも殆ど見出せないのでありました。しかし佐世保には吉岡佳世の名残はあるのであります。吉岡佳世が眠る寺の納骨堂に花を持って毎日通うのは、それは確かに今一番の拙生の楽しみのようなものでありましょう。しかし二十歳にもならない男が周囲の目を憚らず、遠い先までずっとそんな風に生活していくだけの覚悟はと云えば、それは到底持ち得ないのでありました。
 第一納骨壇の中の吉岡佳世が何時まで拙生の訪問を喜んでくれるのか、心細くもあるのでありました。彼女は人間の時に持っていた感情を次第に失っていくと云うのであります。拙生が壇の写真の前に万年筆を置いても、写真の彼女がなにも反応をしなくなったらそれは屹度拙生には耐えられない現象でありましょう。そうなれば拙生は彼女を再び失うことになるのであります。・・・
 万年筆を机の上にある彼女の写真の前に置いてみるのでありました。拙生は頬杖をついて写真と万年筆を交互に見詰めるのでありましたが、佐世保の寺の納骨壇で起こった現象は、兆候すら見られないのでありました。花が添えられていないためかも知れないと小さな花束を買って来て、それを水を張ったマグカップに活けて写真立ての横に置いてみるのでありましたが、矢張り万年筆は何の信号も拙生に送ってこないのでありました。それは吉岡佳世の感情が遂に消え失せたためではなくて、佐世保の納骨壇ではないからなのだと、拙生はそれらしい理由を思いついて無理に納得するのでありました。
 俄かに大学の構内が騒がしくなるのでありました。学費値上げ反対を叫ぶヘルメットの学生の一団が連日学内でデモを繰り広げ、拡声器によるアジプロの声が日に何度も響き渡り、学生と大学当局の職員、或いは学生同士の小競りあいもそこ彼処で日常茶飯事となるのでありました。或る時は小教室でのクラス単位の外国語の講義の時間にヘルメットの一団がいきなり押しかけてきて、担当教員を有無を云わせず室内から追い出してアジ演説を始めたこともありました。大教室の講義がそこを占拠した学生の臨時集会とやらのために、休講になるのは稀なことでもないのでありました。
 以前に駅前で拙生につき纏ってきた二人のヘルメットの男達と、何時か学内で出くわすことがあるかも知れないと拙生は思うのでありました。彼等があの時のことを根に持っていて、意趣返しに今度は集団で拙生を袋叩きの目にあわせることだってあるかも知れません。それは恐ろしいことでもあり、実に以て面倒でもあると拙生は考えるのでありました。
(続)
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