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枯葉の髪飾りCCⅩⅩⅢ [枯葉の髪飾り 8 創作]

 この拙生の逆上に対して、写真の吉岡佳世は微笑を湛えた儘で云うのでありました。
<そう、あたしも気持ちは井渕君が恋人よ、何時まででも。でも、それはそっちの世界では成立しないことやろう?>
<そんなら聞くけど、もしもオイに、新しか恋人の出来たとしてぞ、そうなったら、お前は、嫉妬とか、せんとか?>
<うん、嫉妬とかはせんよ。だって違う世界で起こることやから>
<若しオイがお前の立場やったら、違う世界のことでも、絶対嫉妬するけどね>
<本当はこっちには、嫉妬とか、愛情とか、名誉心とか、羨望とか、野心とか、怒りとか、憐れみとか、そっちに溢れている感情て云う感情、まあ、そっちで人間が人間であるための感情て云うものが、全く存在せんの。そう云った感情はこっちでは全く必要ないの。だからあたし達の顔には、表情がすっかりないの>
<詰まらん世界やっか、そんな世界は>
<そうね、確かに詰まらんかも知れんね。尤も、詰まらないて云う感情も、こっちには存在しないとやけど。まあ、あたし達は人間やないとやからさ>
<そんならぞ、さっきからお前はオイと話しとって、有難うて感激してみせたり、オイのことばまだ好いとるて云うてみたり、オイが撮って来る写真ば楽しみにしてるて云うたりしとるけど、そいは詰まり感情じゃなかとか? 本当は感激もしとらんし、オイのことばもう好いてもおらんし、写真ば楽しみにもしとらんとに、調子ばあわせるためかどうか知らんけど、装いとしてそがん云うてみせとるとか?>
<ううん、あたしには未だ感情が残ってると。だからさっきからあたしが云ってることは、未だ、あたしの本当の気持ち。でも、それも次第に消えていくことになるの。何時完全に消えてしまうかは判らんけど。それが人間でなくなっていくことやから、仕方ないと>
 確かに吉岡佳世は嘗て人間ではあったけれど、今はもう違う「なにか」なのでありました。拙生は残念ながらその時それをはっきり認識するのでありました。写真の前の万年筆が一度身震いするように動いて、その後は全く自動出来ない静物と化すのでありました。拙生は写真の吉岡佳世との会話が閉ざされたことを知るのでありました。だから万年筆を取り上げると拙生はそれを胸ポケットに仕舞うのでありました。
 なにやら写真の吉岡佳世と喧嘩別れしたような気分になって、拙生は今しがたの彼女と交わした会話を悔やむのでありました。壇の中の彼女の写真が何時も通りの微笑を湛えているのでありました。拙生の落ち沈んだ気分とはまったく違うその「何時も通り」の微笑が、詰まり彼女から感情が消滅していくことの、明らかな兆しであるように拙生には思われるのでありました。拙生はなにやらひどく悲しくなるのでありました。
 拙生が壇から離れようとした時、僅かに胸ポケットの万年筆が振動したように感じるのでありました。拙生は万年筆を片手で押さえてもう一度壇の中を慌てて見るのでありました。写真の吉岡佳世の顔が、寂しげに拙生を見つめているのでありました。
<さようなら、井渕君>
 最後にそう云った後の彼女の目は、僅かに潤んでいるようにも見えるのでありました。
(続)
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