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枯葉の髪飾りCC [枯葉の髪飾り 7 創作]

「いや、有難うね、井渕君」
 そう云う彼女のお父さんの声が少し震えているのでありました。「態々、遠いところを駆けつけてくれて、本当に有難う。これでやっと佳世も安心したと思うよ」
 彼女のお父さんは涙声で云って、拙生に礼をするのでありました。しかしそれ以上言葉が続かずに、俯いたまま肩を小刻みに上下させているのでありました。
「もうぼつぼつ、通夜の始まるけん」
 彼女のお兄さんがテーブルを囲んでいる人達に云うのでありました。彼女のお父さんが立ち上がると、皆がそれに倣うようにゆっくりと尻を上げるのでありましたが、拙生も最後に立ち上がるのでありました。
 斎場の係りの人の手でテーブルが隅に片づけられて、部屋の中に座布団が並ぶのでありました。拙生は立ち上がった儘次にどうしていいのか判らずにいると、彼女のお父さんが拙生の座る位置を示してくれるのでありました。そこは祭壇近くの親類一同の席の末でありました。拙生はそこに座ってよいものか考えるのでありましたが、彼女のお母さんが手招きして拙生をそこに導いてくれようとするのでありました。
 拙生は了解したと彼女のお母さんに一つ頷いてから、一旦部屋の入口脇に設えられた受付に行って、斎場の人に教えて貰って用意した不祝儀の袋をそこに置いて戻ると、指示された場所に正座するのでありました。横に座っていた彼女の親類の、多分彼女のお母さんの姉妹であろう人から、吉岡佳世の同級生かと聞かれるのでありました。
「はい、高校時代、同じクラスやった者です」
 拙生はそう云いながら頭を下げるのでありました。
「態々来てくれて、有難うね」
 その人は先程の彼女のお父さんと同じことを云ってくれるのでありました。
 ぼつぼつと弔問の人が増えて部屋の中が埋まるのでありました。最後に、僧侶が入って来て棺の前に座るのが通夜の始まりでありました。僧侶は家族や親類に恭しく一礼してから読経を始めるのでありましたが、拙生は読経の間、祭壇に飾られた彼女の写真を一心に見つめているのでありました。それは吉岡佳世との様々な思い出に浸っているわけではなくて、拙生の頭はその時なにも考えてはいなかったのでありました。通夜に臨んでいると云った自覚も、ここが何処かと云うことすらもすっかり消し飛んでいたのでありました。
 頭の中に劈くような金属音が鳴り響いていて、その音に体を貫かれているために拙生は身動きが出来ないのでありました。頭の芯が痺れているような感覚でありました。悲しいとか寂しいとかの感情も湧いてはこないのでありました。拙生はただ、どうしたものか、まるで、そう、銀杏の木の影にでも成り果てたように動けないのでありました。それでも順番が回ってくると、焼香の仕草だけはなんとかこなしているのでありました。
 僧侶の読経が終わって彼女の親族や弔問の人が立ち上がるのでありましたが、拙生はそれでも座り続けているのでありました。人が出入口へと流れるのでありましたが、拙生は吉岡佳世の写真を見つめながら身動きもしないで座り続けているのでありました。祭壇の前に拙生だけが一人取り残されるのでありました。
(続)
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