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枯葉の髪飾りCⅩCⅨ [枯葉の髪飾り 7 創作]

 拙生は怯むのでありました。屹度棺の中の吉岡佳世はもう拙生の馴染んでいる彼女ではなくなっているでありましょう。拙生はその顔と対面することを秘かに、ひどく尻ごみするのでありました。しかしここで折角の彼女のお母さんの申し出を、結構ですと断るのもなにやら薄情で、無用に臆病なふる舞いのような気がするものでありましたから、拙生は彼女のお母さんの横に緩慢な動作で移動するのでありました。
 小窓の中で、白い菊の花に埋もれて吉岡佳世が目を閉じているのでありました。いやそれは、確かに吉岡佳世の面影を残してはいるものの、どこか決定的に彼女ではないのでありました。安らかで、口元が微笑んでいるようにも見えるのでありましたが、しかし矢張りそれは表情と呼べるものではないのでありました。彼女から表情と云う表情をすっかり奪い取ってしまったから、屹度このような顔になったのだろうと拙生は思うのでありました。病気の苦しみを湛えた儘の顔でないのは、今となっては救いかも知れません。しかし同時に、はにかんだ表情や戸惑う表情、目を大きく見開いて驚く表情や小さな口を引き結んだ真剣な表情、目を弓にして笑う表情や口を少し尖らせて不満を表明する表情と云った、何時も拙生を魅了していた彼女の様々な表情の名残りも、すっかり消え失せてしまっているのでありました。
 拙生は本当に彼女がもう、拙生の前から去って行ったことを実感するのでありました。涙が不意に溢れだして、目を閉じた彼女の安らかな顔が滲むのでありました。拙生の涙が数滴、彼女の顔に落ちるのでありました。それは少しの間彼女の閉じた目の下に止まってから、そこに止まり続けることを躊躇うように、彼女の頬を伝って白い花叢の中に流れ去るのでありました。
 どの位の時間、拙生は棺の傍に座っていたでありましょうか。不意に肩を軽く叩かれて拙生が顔を上げると、吉岡佳世のお兄さんが拙生を覗きこんでいるのでありました。
「井渕君、大丈夫か?」
 彼女のお兄さんは拙生の憔悴を気遣うように、そう声をかけてくれるのでありました。
「ああ、済みません」
 拙生は立ち上がろうとするのでありましたが、拙生にそんな自覚はなかったのでありますが立とうとして少しよろめいたようで、彼女のお兄さんは拙生の腕を取って助けようとするのでありました。横に居た彼女のお母さんも、慌てたように拙生の方へ手を差し伸ばすのでありました。
「ああ、済みません」
 拙生は同じ言葉を繰り返すのでありました。拙生は彼女のお兄さんに助けられながら棺の傍を離れて、テーブルの方に席を移すのでありました。彼女の親類と思しき何人かがテーブルの前に座っているのでありました。その人達に目礼しながら、拙生が座った位置はちょうど彼女のお父さんの正面でありました。
「見苦しかところば見せてしもうて、済みませんでした」
 拙生は涙を拭いながら、彼女のお父さんに頭を下げるのでありました。彼女のお父さんは悲しそうな顔で、それでも拙生に笑いかけてくれるのでありました。
(続)
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