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枯葉の髪飾りCⅩCⅥ [枯葉の髪飾り 7 創作]

 生憎、白十字パーラーでは以前彼女と二人で座った席は塞がっていたのではありましたが、窓際のその席の隣りに拙生は一人で座るのでありました。吉岡佳世と一緒に入った時に注文を取りに来た同じウエイトレスが近づいてきて、拙生の前に水の入ったコップを置くのでありました。渡されたメニューを見ながら拙生がマカロニグラタンを注文したのは、その時そう多くの量は食べられないかも知れないと思ったのと、それが前に吉岡佳世がここで注文した料理だったからでありました。
「マカロニグラタンは、少し時間のかかるですよ」
 ウエイトレスが前の時と同じことを云うのでありました。拙生がそれでも構わないと告げると、ウエイトレスは拙生の手からメニューを受け取って、奥へ歩いて行くのでありました。ウエイトレスが立ち去った後に、前と同じ言葉の遣り取りをしたことが可笑しくて、拙生は頬を微少に緩めたのでありましたが、不意に云い知れぬ寂しさがこみあげて来て、その拙生の顔は苦い表情にすぐに変わるのでありました。
 一人で、拙生はマカロニグラタンをゆっくりと時間をかけて食べ、食べ終わるとコップの水を一口飲むのでありました。久しぶりのちゃんとした食事ではありましたが、それ以上はとても腹に入らないなと思うのでありました。そう云えば吉岡佳世は小食で、食べるのも遅かったのでありました。自分が食べる速度が遅くて呆れただろうと、彼女は拙生に云うのでありましたが、彼女が一生懸命と云った風にその小さな口を動かす仕草は、それはそれはとても可愛かったのでありました。
 拙生は白十字パーラーを出ると四ヶ町を通り抜け、吉岡佳世が拙生の為に写真立て買ってくれた玉屋デパートを見上げて、それから三ヶ町アーケードに入るのでありました。彼女が仔犬を買おうとしたペットショップを見ると、あの時に仔犬はもう売れて仕舞ったと彼女に告げた、小柄ながら骨太の体格のこの店の主人が相変わらず野球帽を阿弥陀に被って、ランニングシャツ姿で店の前に置いてあるケージを掃除しているのでありました。あの仔犬も、そのケージで飼われていたのでありましたか。
 三ヶ町アーケード近くにある喫茶店は、吉岡佳世と入った所でありあました。そこで二人で、拙生の住むことになる世田谷のことや来年彼女が東京に出てきた後の計画とかを話したのが、結局彼女との外での最後のデートでありました。拙生は立ち寄ってコーヒーでも飲んでいこうかと思うのでありましたが、一人でその店に入っても虚しくなるだけのような気がして、店の前をその儘歩き過ぎるのでありあました。
 拙生は佐世保橋を渡って病院の横手を回り、裏の公園に入って、あの銀杏の木の下のベンチに腰を下ろすのでありました。ベンチに落ちついた途端、なにやらやっと自分の最も安堵出来る居場所に帰ってきたような気がして、拙生はようやくに全身の力を抜くのでありました。銀杏の木は生憎の曇天の中ではありましたが、もう夏の到来を告げるように、濃い緑色の葉群れを風に泳がせているのでありました。葉擦れの音がやけに懐かしく拙生の耳の中に響くのでありました。拙生はその音を聞きながら目を閉じるのでありました。そのまま意識が薄れて拙生は眠ってしまったのでありましたが、眠る寸前に頬に流れたものは、曇天の空から落ちる雨粒ではなくて、拙生の涙だったろうと思うのであります。
(続)
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