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枯葉の髪飾りCⅩCⅣ [枯葉の髪飾り 7 創作]

 アパートの自室に戻ったらすぐに東京駅へ出発しようと、白いシャツと黒いズボンとブレザーを旅行カバンに放りこむのでありましたが、それは葬儀に出席するなら一応暗い色の服装をするべきであろうと不意に考えついたからでありました。黒いネクタイは持ってはいないのでありましたが、それは実家に帰れば調達出来るだろうということも考えるのでありました。取り乱している割にはそんな常識的な用意をする自分が一方に居るのが、自分でも意外でありました。
 差し当たりの必要品を旅行カバンに詰め終わって、部屋を出る前に拙生は机の上の写真立てを見るのでありました。吉岡佳世が銀杏の樹の下で微笑んでいるのでありました。
 彼女がもうこの世には居ないと云う実感が、拙生にはどうしても湧いてはこないのでありました。胸の中で寒風が吹き荒れているような気持ちのざわつきに翻弄されていはいるものの、確かにその事実は大きな衝撃ではあったけれど、未だはっきりとした悲しみと云うものではないのでありました。拙生はこの部屋から出かける時にいつもしている挨拶を、何時も通り口の中で写真に向かって告げているのでありました。
 結局その日の夕刻に出るさくら号の指定寝台券は手に入れることが出来ずに、拙生はすぐに乗車出来る新幹線で取り敢えず岡山まで行くことにしたのでありました。岡山に向かうひかり号の自由席車両は閑散としていて、荷物棚に旅行カバンを乗せてから、誰も座っていない席の窓際に拙生は腰を下ろすのでありました。
 車窓の外を身動きもしないで眺めている拙生ではありましたが、その目はなにも風景を捉えているのではないのでありました。かと云って考えに耽っているのでもなく、眠るわけでもなく、濃い霞みの中にただ目を薄く開いて惚けた顔をして蹲っているような感覚でありました。時々吉岡佳世の姿が頭の中に現れるのでありましたが、拙生は距離を隔ててただ彼女の淡い全体像をぼんやりと見ているのみでありました。彼女との距離を詰めること、つまり彼女について考えることは、なにかとても怖いことのようで拙生には出来ないのでありました。体が辛いことはもうないのでありましたが、まだ高熱を発した風邪の残滓が残っていて、それが拙生の頭の働きを不活発にしてくれているようなのは、実は幸いであったと思うのであります。そうでないと拙生は吉岡佳世のことをあれこれ考え続けてしまって、悲しさの底まで落ち沈んで行くしかなかったでありましょうから。
 拙生の乗ったひかり号が岡山駅に到着した時、まだ夕刻にはなっていないのでありました。このまま岡山で明日の朝を迎えるのはなんとも焦れったい気がしてきて、少し乗り換えの時間はかかったのでありますが、拙生はその日の内に山陽本線で広島まで行って駅の待合室で夜を明かすのでありました。
 駅の待合室では旅行カバンを枕に、木のベンチの上に横になるのでありました。空が白むまで転寝と覚醒を繰り返しているのでありましたが、不思議になにも夢らしい夢を見ないのは、その日の朝までとはまったく違うのでありました。朝から食事は一度も摂っていなかったのでありましたが、特に空腹感は感じないのでありました。まだ体調が万全ではなかろうから、風邪がぶり返すかも知れないと少し心配するのでありましたが、その兆候はなにもないのでありました。
(続)
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