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枯葉の髪飾りCⅩCⅡ [枯葉の髪飾り 7 創作]

 叔母の家の玄関を入った靴箱の上に据えてある電話の横には、小さな時計が置いてあるのでありました。その針は八時少し前を差しているのでありました。当然外の明るさから夜の八時であるはずはなくて、今現在が朝であることを拙生はちらと確認するのでありました。
 本体から外されてその脇に横たえられている受話器を取り上げるのを、拙生はほんの少しの間躊躇うのでありました。この電話が吉岡佳世本人からのものであったなら良いのだがと思いながら、拙生は受話器を見下ろすのでありました。本人が電話を寄越すくらいならば、詰まり彼女に、もしもの事態が出来しているわけではないと云うことでありましょうから。
 しかし吉岡佳世にこんなに朝早く拙生に、突然電話をしなければならない事情はなにもないのであります。だから余計に、拙生の受話器を取り上げる勇気が委縮するのでありました。拙生は意を決して手を延ばして受話器に触れるのでありましたが、なにやら気持ちの奥深いところで、出来ることならそれを手にすることを忌避したいと云う思いが、拙生の動作をぎごちなくするのでありました。受話器を耳元まで運ぶ拙生の手が、何故か震え出すのでありました。耳にあてた受話器は、ひどく冷たいのでありました。
「もしもし」
 拙生は恐る恐る受話器に声を送るのでありました。先方の声を聞くぎりぎりまで拙生はその拙生の呼びかけに吉岡佳世本人の声が返って来ることを、そんな筈はないと判っていながらも願っているのでありました。
「ああ、井渕君か?」
 その声は吉岡佳世のお兄さんのものでありました。「判るや、誰か?」
「はい、佳世さんのお兄さんでしょう?」
「うん。こがん朝早う電話して、申しわけなかけど」
「いえ、そがんことは別に」
「実はね・・・」
 彼女のお兄さんはそう云った後に云い澱むのでありました。その沈黙で、拙生は起きた事態の大方を飲みこむのでありました。ですから拙生も、喉から言葉がなにも出て来ないのでありました。暫くの沈黙の後に、彼女のお兄さんは云うのでありました。
「今朝六時過ぎに、佳世が亡くなったと」
 拙生はすぐに驚きの声を受話器に向かって発したのではありましたが、そう云う知らせであることは、彼女のお兄さんの声が耳の中に流れこんできた途端に、実はもう既に察しがついていたのでありましたから、その拙生の驚きの声は云ってみれば、態々電話を寄越してくれた彼女のお兄さんへの礼儀と云うだけでありました。拙生が受話器を取り落としそうになるのは、驚きのせいではなくて、ひょっとしたら失うであろうともうずっと前から実は秘かに予期していたものが、遂に現実のこととして宣告されたことに対する戦慄きのためでありました。受話器から微かながら、彼女のお兄さんの重苦しい息遣いが聞こえてきます。はっきりと拙生は吉岡佳世を今、失ったのでありました。
(続)
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