SSブログ

「刎頸の交わり」のはなしⅡ [本の事、批評など 雑文]

 桓公は自分の命を狙ったことのあるこの管仲を側近にすることが不快であったけれど、鮑叔の意見を入れて結局管仲を任用して斉の政治を委ねるのでありました。管仲は鮑叔の信頼を裏切ることなくその才を遺憾なく発揮して、人民の利益を第一とする政治を為し、斉の国を富強にして、ついには桓公を春秋の覇者としたのでありました。管仲の「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足って栄辱を知る」と云う言葉は夙に有名であります。
 しかし管仲の業績もさることながら、管仲と云う人間の真実と能力を知り、彼を桓公に薦めた後は常にその下位に甘んじた鮑叔の度量と云うものは、これは並大抵の大きさではなかったわけであります。人々は管仲の業績よりも、鮑叔の態度をこそ賞賛するのでありました。小さな節義に拘ることなく、一旦信じたらとことん信じ尽くすと云った交誼を「管鮑の交わり」と云うわけであります。
 また『三国志』で、劉備が孔明を優遇するのを面白く思わない関羽や張飛を宥める言葉として「水魚の交わり」と云う語があり、これも水を離れて魚は生きられないと云った、互いに離れる能わざる間柄を指して云うのであります。春秋時代、親友が死んでしまって、もう自分の琴の音を理解してくれる者は誰もこの世に居なくなったと、その後の生涯で再び琴を手にすることのなかった者の故事から「断琴の交わり」とか、『易経』にある「断金の交わり」「金蘭の交わり」、『漢書』に出てくる「金石の交わり」等と大昔の中国では「交わり」の強固なることを讃える言葉が多く見受けられるのであります。と云うことは現実に於いて「交わり」が如何に儚いものであったかと云うことの、紛れもない表明であるわけであります。古代の中国に限らず、現代の扶桑や世界に於いても裏切りや離反は殊更珍しい事柄ではなくて、色々な実話例証がその辺にゴロゴロ転がっているようであります。
 さてところで、拙生は高校時代バス通学をしておりました。混んだバスに乗るのが嫌さに、早起きの眠気の始末にはちょいと困じるのでありましたが、登校時間よりも三十分も早く学校に到着するバスに乗りこんで、最後部の座席に踏ん反り返って悠々と通学するのでありました。拙生がバスに乗りこむ停留所には朝早いにも関わらす、それに拙生と同じ魂胆かどうかは判らないのでありましたが、数人の高校生がバスを待っているのでありました。同じ高校の制服を着た上級生も居れば他校の生徒も居るのであります。さして多くない人数でありましたから、どの顔もその内に見知るのでありましたが、しかし早朝の高校生は機嫌が悪いと相場が決まっていて、皆眠そうな表情をして不機嫌に口を引き結んだ儘、誰も他の連中と朝の挨拶の言葉をとり交わしたり、楽しげに話をしたりなどは決してしないのでありました。
 拙生とて例外ではなく眠くて不機嫌な顔でその日バス停に到着したのでありましたが、瞬いた拙生の目がふと何時もの早朝通学連中の内の一人の目とかちあったのでありました。お互い不機嫌であるからと云って、別に火花が散ったわけではないのでありました。それどころか頭の中の回路でなにがどう繋がったのか、拙生はその彼に目礼などしてしまったのでありました。拙生のその態度はもののはずみと云うしかないのであります。拙生のこの不意打ちのようなフレンドリーな態度に、彼は目を瞬かせて戸惑いを隠そうとはせずに、しかし反射的に同じ目礼を拙生に返してくれるのでありました。
(続)
nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。