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枯葉の髪飾りCLⅩⅩⅩⅨ [枯葉の髪飾り 7 創作]

 さくら号に乗りこんだ吉岡佳世が、出入口の手すりに手を添えて、ホームに立つ拙生を、見下ろしているのでありました。「本当は東京になんか、行きたくないとよ、あたし」と彼女は拙生に、云うのでありました。「でも、どうしても東京で入院せんといかんから、仕方なく行くとよ」「まあ、そうね」と拙生は寂しさを堪えて、返すのでありました。「お前が佐世保から、居らんようになったら、オイは寂しゅうして、心細うして、どがんすればよかとか、判らんけど、それでお前の体が良うなるとなら、我慢するしかなかね」「ご免ね、井渕君」吉岡佳世は悲しそうな顔を、するのでありました。「夏には、帰って来るとやろう?」拙生が、聞きます。「さあ、どうやろう。向こうで手術して、夏までに体の元に戻れば、帰れるかも知れんけど」「もし夏がダメやったら、待ちきれんけん、オイが東京に行こうかね」拙生はそう云ってから、引き攣るように、笑って見せるのでありました。
 吉岡佳世が拙生と同じような、笑いをするのでありました。「そうね、井渕君が東京に来れば、あたしは嬉しかけど」「よし、そがんしよう。オイは絶対東京に行く」「うん、待ってるけんね。でも、もしあたしが夏までに、帰って来れんやったら、て云う話やけどね、今のは」「うん。夏には帰って来てくれた方が、本当は嬉しかけど」
 拙生のズボンの裾を何かが、噛むのでありました。見下ろすと小さな柴犬が拙生のズボンの裾で、遊んでいるのでありました。拙生は仔犬を、抱きあげるのでありました。「可愛い仔犬ね」と吉岡佳世が、云うのでありました。「あたしにも、抱かせて」彼女は拙生の方へ両手を、差し出すのでありました。彼女に抱かれた仔犬は、彼女の小指に、噛みつくのでありました、「痛うなかとか?」拙生は、噛まれても特に表情を変えない彼女にそう、聞くのでありました。「うん、甘噛みやから、痛うないの」吉岡佳世はそう云って仔犬に、頬擦りをするのでありました。
 仔犬は頬擦りされたことが、嬉しくて堪らないように尻尾を一生懸命に、振るのでありました。「この犬、井渕君の代わりに、東京に連れて行こうかな」吉岡佳世は、まだ仔犬に頬擦りをしながら、云うのでありました。「列車に、犬ば連れて乗るとは、禁止されとるとやなかか?」拙生はそんなことを云って、もしや彼女の機嫌を、損ねないかしらと思ったものだから、躊躇いがちな小声で、云うのでありました。「大丈夫さ、屹度」「そうやろうか?」「うん。もし咎められても、井渕君の代わりに、東京に連れて行くて云えば、車掌さんも許してくれるとやなかろうか」
 吉岡佳世がそう云った刹那、仔犬は彼女の手から脱して、拙生の足下に跳び下りると、そのままホームから、駆け去ってしまうのでありました。吉岡佳世は「あっ」と小さく叫んで、犬の行方を何時までも、見送っているのでありました。拙生はそんな吉岡佳世を見ながら、何故か彼女がとても痛ましく、思えてくるのでありました。しかし何も言葉を、かけられないでいるのでありました。
 暫く二人は無言の儘で、お互いの顔を、見つめあっているのでありました。その沈黙に焦れて、拙生は先ず口元を笑いに動かしてから、少し冗談めかして「ああ、なんかひどく、寂しかし、心細か」と、云うのでありました。「ばってん、くよくよしとっても始まらんけん、オイとお前は笑って、別れんばとばい。誰かに、見られとるかも知れんからね」
(続)
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