枯葉の髪飾りCLⅩⅩⅥ [枯葉の髪飾り 6 創作]
翌日、大学の図書館で「細気管支肺胞上皮の腫瘍」と云う病気を調べてみるのでありました。文化系教養課程のキャンパスにある図書館であるためか、医学の専門的な書籍が何巻も揃っているわけではないのでありましたが、しかしその方面の図書を数冊借り受けて、先ず『医学事典』と題された大部の本を、拙生は閲覧室で開くのでありました。
それは端的に云うと肺癌というものでありました。正確には肺腺癌であります。肺末端の細気管支上皮辺に出来る腫瘍であります。説明文の最後の方にあった「女性や若年者にも見られる」と云う記述に、拙生は吉岡佳世が見事に適合するような気がして、小さく身震いして、思わず顔を顰めるのでありました。
ただ、吉岡佳世のお母さんは単に「腫瘍」と云っただけで「悪性腫瘍」とは云わなかったのであります。そこに縋りつけば、まだ癌であると判断するのは早計と云うべきかも知れません。「悪性腫瘍」があるのなら「良性腫瘍」だってあるはずではないですか。それは云ってみれば疣のようなもので、肺機能にダメージを与えるような悪行はしないのではないでしょうか。
これも縋りつくような気持ちで、良性腫瘍について調べると、増殖性が弱いとか、組織性や細胞が周りと確然と変わっているわけではない等とあります。拙生にはやはり疣のようなものがイメージ出来るのでありました。しかし疣程度であるのなら、それが吉岡佳世の肺に入院を強いる程の毀損を与えるだろうかと考えて、やはり彼女のお母さんの使用した「腫瘍」と云う言葉は、詰まり「悪性腫瘍」を意味するのであろうと、残念ながら判断するしかないのでありました。
しかし彼女のお母さんの口ぶりでは、緊急の手術を要すると云うことではないようであります。経過を見ながらと云うことは、その彼女の肺に生じた腫瘍が、吉岡佳世を今にも圧し潰してしまう程、未だ凶悪な面貌を見せてはいないのでありましょうか。それは増殖が進む前に、早々に排除しなくともよいものなのでありましょうか。そうなら、拙生が思い詰める程深刻な癌ではないのかも知れません。癌にも、色々あるのかも知れませんし。いやしかし、まさか、ひょっとしたら、もう手術が手遅れになっていると云うことではないでしょうね。・・・
拙生は見開いていた『医学事典』を閉じるのでありました。これ以上この手の本を見ていたら、結局悲観的な憶測しか紡ぎ出せなくて、気が変になりそうでありました。彼女の肺の病気が深刻な病気であることは判ったのでありますが、しかしその病気の非情さに戦慄いてしまって、彼女の今の実際の容態も見ることもぜずに、あれこれと考え過ぎて悲嘆していても仕方ありません。なんにしても、拙生には彼女の現状を判断する材料が、決定的に不足しているのであります。
恐らく屹度、吉岡佳世本人は、自分の病名も知らされてはいないのでありましょう。重篤な病気であればある程、それは本人には知らせないのが一般的でありましたから。彼女は自分の病状を、どう捉えているのでありましょう。かなり深刻な病状であることは自分でも判るかもしれませんが、しかし勿論、自分のその病状が恢復することを信じて、病院で今を過ごしているのでありましょうね、多分。
(続)
それは端的に云うと肺癌というものでありました。正確には肺腺癌であります。肺末端の細気管支上皮辺に出来る腫瘍であります。説明文の最後の方にあった「女性や若年者にも見られる」と云う記述に、拙生は吉岡佳世が見事に適合するような気がして、小さく身震いして、思わず顔を顰めるのでありました。
ただ、吉岡佳世のお母さんは単に「腫瘍」と云っただけで「悪性腫瘍」とは云わなかったのであります。そこに縋りつけば、まだ癌であると判断するのは早計と云うべきかも知れません。「悪性腫瘍」があるのなら「良性腫瘍」だってあるはずではないですか。それは云ってみれば疣のようなもので、肺機能にダメージを与えるような悪行はしないのではないでしょうか。
これも縋りつくような気持ちで、良性腫瘍について調べると、増殖性が弱いとか、組織性や細胞が周りと確然と変わっているわけではない等とあります。拙生にはやはり疣のようなものがイメージ出来るのでありました。しかし疣程度であるのなら、それが吉岡佳世の肺に入院を強いる程の毀損を与えるだろうかと考えて、やはり彼女のお母さんの使用した「腫瘍」と云う言葉は、詰まり「悪性腫瘍」を意味するのであろうと、残念ながら判断するしかないのでありました。
しかし彼女のお母さんの口ぶりでは、緊急の手術を要すると云うことではないようであります。経過を見ながらと云うことは、その彼女の肺に生じた腫瘍が、吉岡佳世を今にも圧し潰してしまう程、未だ凶悪な面貌を見せてはいないのでありましょうか。それは増殖が進む前に、早々に排除しなくともよいものなのでありましょうか。そうなら、拙生が思い詰める程深刻な癌ではないのかも知れません。癌にも、色々あるのかも知れませんし。いやしかし、まさか、ひょっとしたら、もう手術が手遅れになっていると云うことではないでしょうね。・・・
拙生は見開いていた『医学事典』を閉じるのでありました。これ以上この手の本を見ていたら、結局悲観的な憶測しか紡ぎ出せなくて、気が変になりそうでありました。彼女の肺の病気が深刻な病気であることは判ったのでありますが、しかしその病気の非情さに戦慄いてしまって、彼女の今の実際の容態も見ることもぜずに、あれこれと考え過ぎて悲嘆していても仕方ありません。なんにしても、拙生には彼女の現状を判断する材料が、決定的に不足しているのであります。
恐らく屹度、吉岡佳世本人は、自分の病名も知らされてはいないのでありましょう。重篤な病気であればある程、それは本人には知らせないのが一般的でありましたから。彼女は自分の病状を、どう捉えているのでありましょう。かなり深刻な病状であることは自分でも判るかもしれませんが、しかし勿論、自分のその病状が恢復することを信じて、病院で今を過ごしているのでありましょうね、多分。
(続)
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