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腹痛のはなしⅡ [時々の随想など 雑文]

 若い頃は腹痛と云えば食い過ぎか腹の減り過ぎ以外の因は見当たらないのでありました。しかも我慢の内も内、痛くたってそれでも尚更食っていれば次第に治ると云う類のものでありました。どんなに脂っこいものでも、胃の壁から炎が立ち上る程辛いものでもへの字でありました。心臓が停止してしまったとしても、我が胃と腸のみは活動を決して止めはしないであろうと思ったくらいでありました。
 友人と二人で新幹線に乗って帰省する折横浜でシウマイ弁当を食い、浜松でうなぎめしを贖い、名古屋駅で一旦降りてきしめんを腹に収め、神戸でしゃぶしゃぶ弁当に手を出し、岡山で祭ずしの蓋を開け、広島であなごめしに箸を刺し、終点博多では街に出て川端ぜんざいを平らげたと云う、嘗ては拙生も剛の者であったのであります。この後佐世保に着いてから駅の地下道にあるお富さんのラーメンでとどめを刺したのでありました。ラーメンの出来あがるのを待つ間に、ことの序でとおでんも一串二串。まあ、きしめんとぜんざいとラーメン以外は二人で一つの弁当を食するのではありましたが。
 その拙生が、今や腹痛持ちであります。序でに云うと、なにを食ってもこの身にアレルギー等あろう筈もないと思っていたのでありますが、先年納豆の食い過ぎから豆アレルギーを発症し、髪染めしたら染料にかぶれるしで、なにかにつけて尫弱になったこの頃であります。盛者必衰、実者必虚、朝に紅顔ありて暮に白骨の無常観、今や一入であります。
 いや、妙に老寂びた話になって恐縮でありますが、なあに実際はそんなに老けこんではいないのでありますから、ひょっとしてご心配の向きがあるとするなら何卒ご安心を。若い者程老弱を気取りたいし老いたる者程若気を誇示したいと云う、その口であります。
 拙生の腹痛の因が器質に問題を見出せないのであれば、それは機能の問題となるのでありましょう。胃なり腸なりを支配する自律神経的な不具合と云うことでありましょうか。 カイロプラクティックのメリック・チャートによれば胃の症状は胸椎六番から八番辺りの問題であります。拙生の腹痛は鳩尾辺りを摩りたくなるわけでありますから、その辺りの皮膚が過敏になっていると云えますし、これは皮膚節(デルマトーム)では胸椎六番から胸椎八番辺りの神経が支配する皮膚知覚領域であってメリック・チャートと一致します。腸なら臍の上下のレベルでありますから、因って拙生の腹痛は胃の問題であると見当をつけるのであります。まあ、胃弱であります。認めるに抵抗はあれども、詰まり老化現象による胃の機能低下と云うことでありますか。やれやれ。
 腹痛と云えば荷風散人も胃弱で苦労したとのことであります。大久保余丁町の本宅六畳間の書院「断腸亭」の命名は、庭に植えたところの日陰を好んで咲く秋海棠の別名「断腸花」と、自らの胃弱に因っているのであります。
 荷風文学は若者よりは年配者、女性よりは男性の方に圧倒的に好まれる云うことでありますが、まあ、散人の残した作品が作品なだけに、そりゃあ確かに女性読者は少なかろうと想像出来るのであります。この身が男であることはとうの昔、生まれた時から持ち合わせている条件ではありますが、この度晴れて老化現象と胃弱をも我がものとしたのでありますから、ここにきてようやくに荷風文学を楽しむ下地を色々手に入れたと云う心持ちがして、少々やけっぱちな表情をつくりながら喜ぶ拙生であります。
(了)
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