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万年筆のはなしⅠ [時々の随想など 雑文]

 そんなに筆記用具に凝る方ではないのでありますが、そう云えば最近とんと手にしないのが万年筆であります。何時頃から日常の筆記にそれを使わなくなったのかと考えたら、もう二十年以上も経つでありましょうか。
 万年筆と云うくらいでありますから一万年使えるペンと云うことでありましょう。なんとも自信に満ち満ちた筆記用具であります。尤も鶴は千年亀は万年の万年で単に非常に長持ちするペンの謂い、万年床が敷きっぱなしの蒲団でありるのと同じで、いちいちインクをつけなくても書きっぱなしが出来るペン、と云うことで「万年」筆なのかも知れません。しかしその筆記用具としての風格や歴史からすれば、充分にプライドの表明を許すに値すると思うのであります。それでも一万年とはちと自信過剰の気味で大風呂敷の類ではありますかな。まあ、その命名の経緯を知らない拙生の勝手な憶測であります。
 鶴は千年亀は万年とは云うものの、この前縁日で買ってきた亀が三日目に死んでしまったので文句を云いに行ったら、露店のオヤジにその日が丁度一万年目だったのですなあと云われて納得して帰って来たと云う話がありますが、これは確か上野の鈴本かどこか寄席で聞いた噺であります。そう云えば前に子供にせがまれて新井薬師の縁日だったかで買ってきた亀は、適当な水槽がなかったので透明のプラスチックの虫籠に入れて飼っておりました。掌に載る程の大きさの頃はそれで良かったのでありますが、次第に成長して虫籠の中では窮屈になったようなので、大きめのこれもプラスチックの衣装ケースに移してやったのでありますが、なにやら虫籠の中に居た頃に比べて急に動きが鈍くなって、みるみる元気がなくなるのでありました。これはいかんと思ってまた住み慣れた虫籠に移すと、今度は元気にガタガタと天井の蓋を開けようとしてみたり、仕辛そうに中で体の向きを変えてみたりと忙しなく動くのでありました。恐らく虫籠が透明で衣装ケースが不透明であったために、虫籠に入れられている時の方が広い空間に居る気がして、なんとか動き回ろうと始終ガタガタやっていたのでありましょう。
 その亀の姿は楕円ではなくて真ん丸に近くなっていて、これは狭い虫籠と云う環境に彼が適応した結果でありましょうか。しかしもっと長じて遂に虫籠の中では身動きがとれなくなるのでありましたが、それは井伏鱒二の『山椒魚』の悲しみを思わせるのでありました。これは何が何でも宜しくなかろうともう一度衣装ケースの方に転居願ったのでありましたが、またそこでは蹲るように手足首尻尾を縮めてあたかも石像と化した風情であります。それはそれでなんとなく東洋的虚無を体現しているようで、拙生としては美しい姿であると思うのでありましたが、しかし彼の健康を慮ってペットショップに引き取って貰うことにしたのでありました。その広い水槽で他の仲間との交流を通じて彼に社会化してもらおうと云う思惑であります。しかしこんな真ん丸亀をペットショップが引き取るかしらと危惧したのでありましたが、店の人はほうと唸って「珍しい形ですなあ」と云いながらニタと笑って、快く亀の社会化に一肌脱いでくれるのでありました。勿論タダでよいなら引き取りますと云う店長の提案を受け入れること、拙生は全く吝かではないのでありました。思えばこの亀もこの先九千九百九十年以上も生きるわけでありますから、見事亀社会の中でその姿形と同じに異彩を放つ存在として立たんことを拙生は祈るのみでありました。
(続)
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