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合気道の「持ち手」に対する稽古Ⅰ [合気道の事など 2 雑文]

 相手が此方の手首や肩、胸倉や肘を持ちにきた場合、塩田剛三先生は本当は持たれたらその時点で負けだと常に仰っておられました。相手が此方の手首なりを持ったと実感する前に、或いは持つと云う行為が完了する前に、捌きや当身を繰り出すことによって相手のペースで持たせないようにしなければならないと云うことであります。千田務先生も持つと云う行為を三段階に区切られて「触る」「握る」それから「押す或いは引く」となると解説されておられます。千田務先生はこの「握る」の段階が相手に最も隙が出来るところで、相手が握ったと実感した瞬間に技を施すと巧くかかると仰います。しかし「触る」「握る」は一瞬の内に完了しますから、その「握る」タイミングを捌きによって遅らせてやると此方も相手の「握る」瞬間を捉え易くなります。捌きによって相手の「握る」タイミングを制御し、相手が持ったと思った時には既に相手の体は崩れている状態にするのが、捌きの意味と云うことになります。また同時に相手に此方と接触する直前まで持てると思わせておいて、実はどこも取らせないと云う操作も捌きによって行うのであります。
 しかし稽古の取りかかりとして先ずは捌きから入らずに、相手に確実に此方の手首や肩なりを持たせて、その力を割ると云う稽古が相手の持ち手に対する稽古の最初とされます。つまり相手の「押す」或いは「引く」若しくは「固定する」と云う力に対する稽古であります。相手の「握る」タイミングを取る稽古、即ち捌きの稽古から入ると、相手の「握る」と云う行為の完了時の感覚を体感出来ないであろうし、そうであるならそのタイミングを捉えることも結局出来ないことになります。またリアルな局面に於いて相手の「握る」タイミングを此方が逸した場合、不覚にも確実に持たれてしまった場合に、その後何も為せなくなるようでは合気道の武道としての意味がありません。意ならずも相手に確実に持たれてしまったとしても、その頽勢をなんとしてもめぐらすのが武道の要件であるはずであります。此処に相手の力を割る稽古が生きるのであります。また捌きの稽古は充分に自分の体が「合気道体」として錬られ、合気道的な動きが何時でも遂行可能になってから行わなければ結局稽古の意味がないと思うのであります。
 塩田剛三先生や千田務先生のような達人の域にある方ならば、相手の持ちに来る意図やタイミングを自在にコントロール出来るでありましょうし、それが合気道を修錬する者の目指す域ではありましょうが、やはり稽古には段階や自分のその時点での力量との兼ねあいがありますし、段階を確実に踏む方が結局その域に達する近道であろうと思われるのであります。嘗て塩田剛三先生が主宰されていた黒帯会でも、相手に確実に持たせてそれを親和的な力の作用で割ると云う稽古が頻繁に繰り返されていましたが、これは今にして思えば塩田剛三先生の或る種の武道的示唆であったとも思われるのであります。
 こうして定位置での「押す或いは引く」若しくは「固定する」でもいいのでありますが、この相手の力を一定の条件の下で割ることが出来るようになれば、次に「握る」の段階に入ります。これは相手の「握る」が完了する直前を実感したら即動くと云う稽古であります。捌きと云うよりは自分の反応を磨くのが目的であり、この後に内避け外避けの基本的な捌きの修錬に移っていくのであります。此処では捌きは「握る」あるいはその直前の状態を引きのばすための動作であり、その状態を続けることで相手を崩す動作であります。
(続)
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