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枯葉の髪飾りCⅩⅩⅨ [枯葉の髪飾り 5 創作]

 公園で吉岡佳世と待ち合わせた日、拙生は公園の銀杏の木の下のベンチで、病院の診療を終えた彼女が現れるのを待っているのでありました。まだ東から日が射している頃で、すっかり春の暖かさに満たされた公園の中には、長閑な空気がゆらゆらと泥んでいるのでありました。横の銀杏の木はまだ裸の儘でありましたが、それでも木の息遣いのようなものが春の深まりにあわせて大きく深くなっているように感じられるのでありました。
「ご免ね、待った?」
 小走りしながら公園の中にあらわれた吉岡佳世は、そう云いながら拙生の横へ腰を下ろすのでありました。病院の棟からここまで小走りしたくらいで彼女の息が弾んでいるのは、矢張り彼女の心臓や肺がまだ充分に効率的に働いていないためであろうかと考えて、拙生の鼻腔の中に満たされた春の空気がやや湿り気を帯びるのでありました。
「なんか、息の上がっとるごたるけど、大丈夫か?」
「うん、待たせたら、悪いて思うて、気持ちの、焦ったから。体の方は、なんともないとよ」
「そうや、そんならよかばってん」
「心配せんで、大丈夫よ、本当に」
 そう云って吉岡佳世は深呼吸をするのでありましたが、容易には頻繁で浅い息遣いは元に戻らず、それを拙生の手前急いで調えようとするものだから、余計に彼女の肩の上下動は静まらないのでありました。
「せっかく良うなっとるとに、無理したらダメけんね」
 そう云った後で拙生が黙るのは、彼女の息が静かなリズムを取り戻すのを待つためでありました。拙生は大いに心配でありました。
「井渕君、四月六日に東京に発つとやったよね?」
 漸く呼気と吸気の調律を終えた吉岡佳世が拙生に聞くのでありました。
「そう。四月十日が入学式けん、それに間にあうごとね」
「でも、考えたら、そがんゆっくりでよかと?」
 吉岡佳世は拙生の顔を覗きこみながら云うのでありました。「あっちで生活するための物ば買うたり、あっちの様子に慣れたりとか、色々することのあるとやないと?」
「どうせ叔母さんのアパートに転がりこむとやけんが、布団と机くらいしかこっちから持っていくとはなかもんね。その布団とかは四月になったら叔母さん宛てに送るし、鍋釜とかは叔母さんが融通してくれるけん。それにあっちで買うものて云うたら、小さか箪笥と本棚と白黒テレビと、夏の扇風機と冬用の炬燵くらいやし。それもアパートのある駅の傍の商店街に大きか電気屋とかあるけん、行ったその日にでも調達出来るし」
「大学の方は、入学式前に、なんか行事とかないと?」
「健康診断とか、なんとかガイダンスとかあるらしかばってん、それも入学した後の話やもん。教科書なんかも、受講する講義ば決めてから四月中に買えばよかごたるし。大学て云う所は万事悠長に出来とるごたる」
 拙生はそんな説明をするのでありました。
(続)
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