SSブログ

枯葉の髪飾りCⅠ [枯葉の髪飾り 4 創作]

 吉岡佳世の入院は長引くのでありました。当初は一月二十日過ぎ辺りに退院できるであろうと云うことだったのでありますが、集中治療室から解放されるのが遅れたためにその分後ろへずれたとしても、一月中には必ず退院出来るのであろうと拙生は踏んでいたのでありました。しかし二月に入っても彼女の退院の日はまだはっきりと目途が立たないのでありました。
 吉岡佳世が普通の病室に戻ったその週の土曜日に島田がクラスの女子を二人連れて彼女を見舞い、週が明けた月曜日には拙生が病室に隅田と安田を連れていったのでありました。その時は彼女の容態は良好で、拙生と安田の軽口の応酬を聞いて、口に手を当てて手術痕に障らない程度に声をあげて笑ったり、彼女自身も色々喋ったりもしていたのでありました。大手術であったのだから傷の痛みは当分抜けないのは仕方がないとしても、それも段々治まるであろうし、こりゃあ学校への復帰ももうすぐだなと隅田と安田は病院の帰りに拙生に話すのでありました。しかしその二日後に彼女は急に肺炎を発症したのでありました。高熱のために意識も朦朧とした日が二日程あって、それは次第に治まりはしたものの、ピーク時程高くはないのでありましたが、発熱はその後も続いて、暫くの間はなかなか容態が安定しないのでありました。
 二月に入るとようやく熱が微熱程度に下がって、吉岡佳世の表情にかなり窶れた風ではありましたが笑顔が戻ってきたのでありました。このまま落ち着いてくれれば一先ず安心と云うところなのだがと、拙生は祈るような気持ちでいたのであります。
 拙生は吉岡佳世が高熱に苦しんでいる二日間は断腸の思いで遠慮をしたのでありましたが、それ以外はほとんど毎日、学校のある日はその帰りに、休日には面会時間の始まる三時丁度に彼女を病院に見舞うのでありました。拙生が来た日は、夜になっても彼女の容態が安定しているような気がすると云う彼女のお母さんの言葉もあって、これは絶対休まずに見舞わねばと拙生は気負うのでありました。
 しかしながら入試のために、数実後には拙生は東京へ発たなければならないのであります。東京には少なくとも二週間程逗留しなければなりません。受験する三つの大学の結果発表まで居るとすれば此方へ帰れるのは二月末になってしまいます。到底そんなに吉岡佳世と離れている積もりはないので、拙生は結果の発表は親類に見に行ってもらうか電報でも頼むことにして、二月十八日には一旦帰ってくる予定を立てるのでありました。拙生が戻るまでの二週間と云う時間があれば、吉岡佳世の容態も多分好転して、退院の段取りもつくか或いはひょっとしたらもう退院しているかも知れないと、拙生は楽観的な観測を立てるのでありました。
 それにしても肺炎を発症して以来吉岡佳世は、見違えるように弱々しく衰弱してしまっているのでありました。拙生がベッドの横に立っても時には起き上がれなくて、頬を枕に押しつけたまま目だけ向けて拙生に微笑みかける場合もあったりするのでありました。彼女は拙生に向かって必死になにかを云おうとするのでありますが、しかし表情を微少につくるだけで精一杯と云った風で、言葉を発する気力は遂に湧きあがらないと云った状態の時もあるのであります。拙生はそんな彼女を見るとひどく心細くなるのでありました。
(続)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。