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蘆花公園の白ネコⅠ [散歩、旅行など 雑文]

 今から四半世紀程前に或る女性との最初のデートは、世田谷の北烏山寺町から蘆花公園までのぶらぶら歩きでありましたが、当時は世田谷に住んでいたので、寺町は拙生にとって恰好の散歩コースでありました。と云ってもそのデートの前に一度きり歩いたばかりではありましたが。
 烏山寺町は関東大震災以後に浅草や築地、麻布や芝辺りの諸寺が集団移転してきた処であります。寺院の数は二十六、寺々の甍に大樹の枝が寄りかかる、住宅街に忽然と広がる緑豊かな別天地と云った趣きであります。
 彼女と京王線の千歳烏山駅で待ちあわせて、そのまま寺町通りを北上して甲州街道を突っ切ればすぐに寺町の一角であります。頃は梅雨の只中、低い雲が垂れこめ、時々落下してくる雨粒に頬を濡らしながら、住宅街の道を二人は埒もない話に興じながらゆるゆると歩くのでありました。
 彼女を案内して、妙善寺で為永春水の墓に手をあわせて、幸龍寺では「江戸名所図会」の挿絵で有名な長谷川雪旦の墓に頭を垂れ、そば切り寺の弥往院に於いては宝井基角とその父たる榎本東順の墓を眺め、専光院の喜多川歌麿の墓前に二人しゃがんで、拙生は彼の人の画風について彼女に仕入れたばかりの蘊蓄を得意気に垂れるのでありました。関東大震災のために縁もゆかりも無い当地で密やかに眠ることになった此れ等の墓の主は、さぞや魂消ているであろうにと陰気に語る拙生の声に、詰まらなさそうな顔も出来ずに頷く彼女の災難の程は如何ばかりかと、今にしてようやくに考え及ぶのでありますが、思えば探墓趣味とは初デートにしては若々しくもなく時めきの欠片もない散歩でありました。
 高源院の弁天池はシベリアから小鴨が飛来する池として有名で、水面に浮かぶ睡蓮の葉が雨に打たれてその色艶が一層際立っているように見えるのは、これは美しい光景ではありました。この葉の上で昼寝をしたらさぞや涼しかろうと雨蛙みたいな了見を彼女に披瀝してみせる拙生でありましたが、これは前に寄席で聞いた志ん朝師匠の『品川心中』で、本屋の金蔵が心中を持ちかけられた花魁のお染に「この世で所帯を持っても仕様がねえから、あの世へ行って蓮の葉っぱの上でお前と所帯を持とうじゃねえか」と、志ん朝師匠によれば雨蛙みたいな了見になったと、そう云う話を不意に思い出したから何とはなしに口に上せたのでありました。
 自分ながら呆れる程、これも最初のデートにしては初々しさも瑞々しさもない会話でありますが、一つだけデートらしい佇まいはと云えば雨脚が激しくなったので、とある寺の軒先を借りて彼女の手になる弁当を広げたことくらいでありましょうか。昼にも関わらず辺りは暗く、蕭状たる雨景色の中での弁当でありますから、まあ、これがデートらしい光景かどうかは厳密に云えば多少疑問の余地があるようなないような。
 弁当を終えて雨が降り収まるのを寺の縁の欄に二人して寄りかかって、益体もない話に時間を潰しながら待っていると、漸くに驟雨はこの地を去り、微かに辺りが明るくなってくるのでありました。無駄話の種も尽きかけて、やっと歩行の自由を得た拙生と彼女はこの後千歳烏山駅まで戻り、駅を通り越したら南南東に足の親指の向きを変えて今度は蘆花公園へと向かうのでありました。
(続)
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