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枯葉の髪飾りⅩCⅧ [枯葉の髪飾り 4 創作]

 電話を切った後で拙生は怒りを覚えるのでありました。勿論彼女のお母さんにではなく、楽観が裏切られたことへの怒りであります。それにその楽観を裏切ったのは誰かと云うと、これも勿論誰でもなくて、結局のところ、手術すれば総てうまく行くと能天気に考えていた自分への怒りと云うことになるのでありましょう。もう暫くやきもきする日が続きそうな気配に拙生はうんざりするのでありました。
 気持が萎んでその日は目前に迫った受験ための勉強どころではありませんでした。布団に入ってもなにやら良くない方、不吉な方にばかり考えが流れて行き、くよくよと悲観的なことを考えてはその泥濘からなかなか足を抜けずに、結局外が白んだ頃にようやくまどろんだくらいでありましたか。朝食を摂る気にもなれず母親に胃の調子が悪いからと云って、それを心配する母親の言葉をやたらと腹立たしく感じながら、熱い茶だけ飲んでその日は学校へ向うのでありました。本当は学校も休みたかったくらいでありました。しかし手術後の不如意な苦しみに耐えている吉岡佳世の現実に比べれば、拙生の懊悩なんかは些事に属するもの以外ではありませんが。
 登校して隅田や安田、それに島田と話をすれば少しは気が晴れて、吉岡佳世の病状に対する昨夜の不吉な観測が取り越し苦労のように思えてくるのでありました。隅田も安田も島田も、大変な手術だったのであるから経過に起こる少々の不測の事態も、云ってみれば完治までの過程のあり得るべき範囲の紆余曲折であろうと、まあ、拙生を慰めたり勇気づけたりしてくれるのでありましたが、成程そう思えば肝心の心臓の手術自体はうまくいったわけでありますから、その後の一々をあんまり神経質に考え過ぎない方が良いような気もしてくるのであります。それに吉岡佳世はその紆余曲折を乗り切ってくれるに違いありません。彼女は何事に対しても直向きでありますから、自分の体の恢復と云う目的に於いても屹度直向きに処することが出来るでありましょう。勿論拙生の方は彼女の恢復のためなら何でもするつもりであります。と云っても、今拙生に出来ることと云ったら、結局祈るくらいしかないかも知れませんが。・・・
 吉岡佳世が集中治療室からようやく元の病室へ戻ってきたのは、手術からちょうど一週間後でありました。その知らせを吉岡佳世のお母さんから電話で聞いた時の、拙生の喜びと云ったら!
 拙生は嬉しそうに電話の向こうで話す彼女のお母さんの声を聞きながら、これでようやく吉岡佳世は大丈夫だと云う確証を得た思いで、踊り出したくなるようでありました。
「明日学校の帰りに、病院に寄ってもよかですかね?」
 拙生の言葉は多分、必要以上に弾んでいたことでありましょう。
「うん、来ておくれ。佳世も逢いたがっとるけん」
「判りました。そんじゃあ、明日」
 そう云って電話を切った拙生は思わず指を鳴らすのでありました。当然のこととして目前に迫った受験のための勉強なんか手につくはずもないのは、状況は真反対ながら四日前と同じであります。その代わりその日の夜は久しぶりに寝つき良く安らかに、長い時間眠ることが出来たのでありました。
(続)
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