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寝台特急さくら号のはなし [時々の随想など 雑文]

 拙生が初めて東京に遊びに出て来たのは中学生の時でありました。十三歳年齢の離れた従兄弟に連れられて、東京に住む叔母の家に、夏休みを利用して遊びに出かけたのであります。その時に乗ったのが寝台特急さくら号でありました。
 先日、九州へ向う寝台特急が竟に最後の運行を終えたと云うニュースに接して、もうこの先二度と寝台特急列車に乗ることもあるまいなと、なんとなくシンミリしたのでありますが、拙生も随分とこのさくら号にはお世話になったクチでありました。尤もさくら号はもう四年前に一足先に運行を終えていたのではありますが。
 中学生で初めてさくら号の乗客となる光栄に浴す前は、東京から親類がこのさくら号に乗って遊びにやって来るのを送迎するだけでありました。帰京する親類を佐世保駅に送りに行った時、ちらと車内へ乗りこんで、まだ寝台がたたまれた状態の車内の対面のシートに座ってみると、子供心にも妙に旅情を掻きたてられるのでありました。
 さて、初めての寝台列車の旅に興奮して列車内をうろつき回る中学生を、歳の離れた従兄弟は食堂車に連れて行くのでありました。そこでポークカツを馳走され、慣れぬフォークとナイフでそれを口に運びながら、これぞ寝台列車のゴージャスな旅と田舎の中学生は感動するのでありました。それにつけてもこの従兄弟でありますが、自分はサーロインステーキとビールを注文して、前に座る中学生を胡散臭げに見ながらゆるりと食事を摂るのであります。やたらに脂物が好きな従兄弟で外食と云ったら常にサーロインステーキで、後年心臓を患って大変な手術をするはめに陥ったのでありますが、まあ、それはさて置き。
 当時佐世保から東京まで十九時間を要していたでありましょうか。午後四時半に出た列車は翌日の午前十一時半に東京駅に滑りこむのであります。朝の七時頃には寝台がたたまれてしまい、そのたたまれた寝台からだらしなく毛布の端がはみ出していたりして、なんとなく弛緩した朝の列車内の空気の中で、興奮と、駅に列車が停まる度にガタンと大きく揺れるものだからなかなか寝つけずに、すっかり寝不足となった中学生は虚ろな目で車窓を流れる景色を目の端に遣り過ごしつつ、ぼんやり東京到着を待つのでありました。
 爾来、後に東京の大学に進学するに及んでは、このさくら号は拙生にとって東京と佐世保を行き来するための重要な足となったのでありました。さくら号の列車内にはいろいろな思い出が詰まっているのであります。同席になった横浜の大学に通う同年の女子大生との淡い桜色した思い出、やたらに手間のかかるお婆さんに東京到着まですっかり面倒を見させられた苦笑の思い出、小学校一年生の女の子にどうしたものか妙に気に入られて、これもすっかり佐世保到着まで遊び相手をさせられてしまった思い出等々。
 一九七五年に新幹線が博多まで開業すると所要時間はぐっと短縮したのでありました。東京博多間が七時間、それから博多佐世保間が在来線特急で二時間半の都合九時間半であります。かなりの時間節約に心動かされて偶にこれを利用することもありましたが、やはり基本は寝台特急さくら号でありました。第一さくら号を利用する方が値段が安かったのでありました。まあ、もっと安く上げたかったら鹿児島から来る急行さくらじま号に鳥栖駅で乗り換えて東京へ向うと云う手もありましたが、これは寝台車ではなくて、しかも東京まで丸一日乗っていなくてはならなかったので、かなりの体力の消耗を覚悟しなければならなかったのでありました。
 大学を出て東京で職を見つけると学生時代のように長い休暇は望めなくなり、しかも毎回さくら号の指定席券を取るために要する手間と時間が惜しくなったこともあって、次第に自由席のある新幹線を利用する場合が増えていくのでありました。偶には奮発して飛行機を利用する時もありました。
 愚息が幼稚園児の頃、さくら号で佐世保に連れて行ったのが最後の乗車でありましたか。もう随分と前の話であります。愚息は拙生の中学生の頃以上に興奮してやたらと車内で騒いでおりましたが、そこは幼稚園児、騒ぎ疲れてすぐに寝てしまいましたが。
 二〇〇五年にこのさくら号は竟に運行が終わったのでありました。愚息を佐世保に連れて行った頃にはもう食堂車の連結もなくなっており、なんとなく往時を知る者としては寂しい心地ではありましたが、再び線路の上にその雄姿を見ることが出来なくなってしまうとなると、なにやら体の一部を捥がれたような喪失感を覚えるのでありました。心の内壁にこびりついた思い出の中の、さくら号に纏わる部分がすっかり剥がされて封印され、深い穴の中に納められてしまったような寂寥感と云うと大袈裟に過ぎるでありましょうが。ま、拙生が生きている限りさくら号に纏わる思い出は消えはしないのでありますが、それでももう、その思い出の残滓には二度と触れることが出来なくなったのでありました。
 ところで考えてみたら、佐世保にももう何年帰っていないのやら。実家がなくなってしまったと云うのがその主な理由ではありますが、親類も居るし友人も居るし、第一さくら号の運行がなくなった後も、他に帰る手段は幾らでも残っていると云うのに。・・・
(了)
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