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麦茶売りの声 [時々の随想など 雑文]

 最近は街中に流しの物売りの声が昔ほど多く聞かれなくなってしまいました。居住環境や交通事情の変化、或いは売り買いの形態に対する意識の変化等理由は多々ありましょうが、これは少々残念なことであると思ったりするのであります。落語家の春風亭小朝師匠の高座で豆腐売りのラッパの音と売り声が聞こえる夕暮れの街の風物、町内で遊ぶ子供の情景が織りなされた話を、かつて寄席で聞いたことがありましたが、今は懐かしい東京の夕景でありましょう。
 拙生の生まれた扶桑西端の地でも季節ごとに様々な品を商う物売りの声が町内に流れていたのでありました。もっとも拙生が中学生になる頃には、もうその声はあらかた街から消えてしまっていたのでありますが。
 一番印象に残っているのは麦茶売りの声であります。夏の盛り、午後の一番日差しがきつい頃、天秤棒の両端にブリキで出来た円筒の大きな容器を吊下げて、坂の多い街を「麦茶にコーセン」と語尾を長く伸ばしながら売り歩くのでありました。「コーセン」とは「香煎」のことで、麦を煎って粉にした菓子でありまして、これを湯で練って食すのであります。甘味料を加えなくとも仄かに甘く、素朴な味の菓子でありました。別名「糗麨粉(はったいこ)」或いは「麦こがし」と云うものであります。今でも東京西郊の高尾山ケーブルカー駅辺の土産物屋で売っているのを見かけたりします。麦茶売りの天秤棒に吊るされた二つの大きな容器には、大麦の実を炒った黒々とした麦茶粒が一方に、夏の海岸の白砂と同じ色をした、しかしもっともっときめの細かいこの香煎の粉がもう一方に平らに均して入れてあり、上に大中小の量り売りの桝が半分埋まって置かれているのでありました。
 ちょうど坂の途中の拙生の家の庭先でランニングシャツにタンクズボン、地下足袋姿のその麦茶売りのおじさんは荷を下ろし、つば広の麦藁帽子を取って首に掛けたタオルで日焼けした顔を一拭いしてから、声を張り上げて「麦茶にコーセン」とゆっくり何度か呼ばわります。そうすると近所からそれを買い求めようと、奥さん連中や夏休みで暇な子供等がぼちぼち集まって来るのであります。
 当然拙生の家がその俄か商店から一番近いものでありますから、拙生は真っ先にそこへたかるのでありました。別に買う必要はなくとも、そこで展開される商売風景を見るのがなんとなく楽しかったものであります。母親が麦茶を買う序でに強請って香煎を小桝で買ってもらうのでありましたが、ブリキの丸い入れ物の蓋が開けられると、綺麗に均された内容物の表面から粉がふわりと舞い上がり、それだけでなにか大変貴重なものをこれから買い求めるのだと云う気がして嬉しかったのでありました。湯で練る前に粉をそのまま口に含んで唇を窄めてふうと吹くと、煙のように粉が空に舞います。それは父親の口から吐き出される煙草の煙のようでありました。気に入ってそんなことを何度かしていると勿体ないと母親に叱られるのでありました。
 スーパーで麦茶のパック製品が売られているのを見ると、成程今は麦茶を作るのも簡便になったものと思うのであります。昔は件の麦茶売りのおじさんから桝で買った麦茶を薬缶で煮出していたのであります。薬缶ごと冷蔵庫に入れてそこからコップに麦茶を注いで飲んだあの麦茶の味は、心なしか今より濃くて香ばしかったような気がするのであります。
(了)
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