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プラムディヤ選集は今後 [本の事、批評など 雑文]

 先日のこと、覘いた本屋でインドネシアの作家プラムディヤ・アナンタ・トゥール氏の『ガラスの家』(押川典昭氏訳・めこん刊)を見つけて、おやと思って買ってきたのでありました。十年程前にめこんと云う出版社で出されている氏の選集第六巻『足跡』を買って以来、待てど暮らせどこの第七巻『ガラスの家』が出版されず、出版取り止めにでもなったのだろうと勝手に思っていたのでありました。この『ガラスの家』は奥付が二〇〇七年に第一刷発行となっており、今が二〇〇九年でありますからこの一年半の時間差に関しては、本屋の棚を眺める拙生の注意不足に依ると云うべきでありますが。
 最初に氏の『ゲリラの家族』(同じく押川典昭氏訳・めこん刊)を、なんとなく買ってきたのがもう二十年程前のことになります。独立戦争時のジャカルタで或るゲリラの家族に起こった出来事を通じて、革命と戦争下で苦悩するインドネシア民族の姿を描こうとしたこの作品に魅せられて、めこんから刊行される氏の選集を貪るように読んだのでありました。『ゲリラの家族』が一九八三年、少し間を置いてブル島四部作の第一部『人間の大地』上巻が一九八七年、同下巻と第二部『人間の大地』上下巻、それに第三部『すべて民族の子』上下巻が一九八八年に立て続けに出版されました。拙生が『ゲリラの家族』を読んだのが一九八八年頃で、ここまでは間断なく氏の作品に触れることが出来たのでありました。
 その後十年程空白があって一九九八年に第三部『足跡』が出版されて、随分待たされたと云う感じを受けたのでありました。第一部の『人間の大地』などは場面の印象が薄くなっていたり、物語の推移が曖昧になっていたりするものでありますから、もう一度さらっと読み返した後にようやく『足跡』の表紙を開くのでありました。第一部と第二部が立て続けに出たのでありますから、第三部『足跡』と第四部『ガラスの家』も続けて出版されるものと期待したのでありますが、しかし結局約十年待つことになったのでありました。
 押川典昭氏のあとがきによれば「この小説の原本にはおびただしい数の誤りがあり、最新版でもほとんど訂正されていない」ということであり、著者自身が原稿の見直しや校正はしないことを信条にしているようでもあって、翻訳の御苦労は並大抵のものではないことは理解出来るのであります。元原稿とインドネシア語初版テクストの全文照らし合わせ、第二版以下との照合、著者独自の用語法や文体を勘案しながらの校訂作業は、想像するだけでも気の遠くなるような作業であります。邦語出版に完璧を期すべく努力の最大を傾注されている翻訳者の塗炭の苦しみを一考だにせず、のほほんと出版の遅さにやきもきするのは、これは一読者たる拙生の方がちいとばかり身勝手と云うものでありますか。
 しかしそう反省しつつも、こうしてようやくにブル島四部作の第四部を手にすることが出来た幸せを噛みしめるのではありますが、気になることが新たに出来したのであります。と云うのは『ゲリラの家族』以来、奥付の後ろの最終項にプラムディヤ選集全巻が今後の出版予定も含めて記載されていて『足跡』までは、第七巻『ガラスの家』の後に第八巻『夜市ようにではなく・他』と第九巻『追跡』が確かに載っていたのであります。しかし『ガラスの家』のそれにはこの二巻が記載されていないのであります。ひょっとして『ガラスの家』でプラムディヤ選集はお仕舞いとなるのでありましょうや。身勝手は重々承知ながら、やはりそれはやきもきする事態ではあります。
(了)
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