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『孫子』と云う書Ⅲ [本の事、批評など 雑文]

 昔から云われていたことでありますが『孫子』は具体的な戦術や、戦争に実際に役に立つ方法が散りばめられた書と云う体裁ではなく、観念的で示唆に富んだ(示唆する程度に止めた)兵学書であります。決して実用書ではなく、それは哲学書の様な、また文学書の様な香りすらするのであります。読んでいるとその格調高い文章に酔うようであります。そしてここが第一に「臭い」のであります。
 当然のこととして学派の聖典でありますから、こう云う時はこうしましょう的な具体性を避けてなるべく抽象度を上げて記述する必要があります。しかも拙生のものしているこの雑文のような、品格も風格もあったものじゃないような書き方や言葉遣いも禁物であります。あくまで格調高く重々しく原則のみを並べるのみであります。語句の解釈に幅をもたせるような記述の方が目的に適っております。
 戦争の形態は兵器の進化によって劇的に変化します。ですから妙に具体的な兵器の使用等はなるべく明瞭に記述せず、春秋時代の戦争の背景としてなるべくぼんやり記述しておく方が無難であります。当然孫武の時代の戦いを臭わす必要から騎馬戦術等の孫臏の時代の常套戦術は記述しません。その辺りは巧妙に注意深く記述します。自ずと抽象度の高い書き方しか採用出来ないのであります。
 聖典は長く読み伝えられなければなりません。また後学のために様々な解釈が可能なように書かれなければなりません。『孫子』の抽象度はこの要望に見事に合致しているように思えてならないのであります。
 孫臏学派はこうして、まず遡ること百年余に開祖である孫武が出現して学派の基を築き、その兵学の精髄たる十三編からなる『孫子』を残したと云う学派起源伝説を創りあげます。それが子孫たる孫臏にまで営々受け継がれ、孫臏はその奥儀を極めた者として斉の威王に仕え、将軍田忌の軍師として自らの兵学を駆使し斉を軍事の強国へと導いたとするのであります。孫武によって開かれた孫家の兵学は孫臏によって大成され、天下無敵の兵学とし隆盛をみたとするのであります。
 孫臏は後に敵となる龐涓と伴に兵法を学んだと『史記』にありますが、これは拙生の論でいくと当然孫家に伝わる兵法であることになります。孫臏は孫家兵学の後継者となるべく自流の最高師範格の先生に就いて学んでいて、その同窓に龐涓が居たと云うことになります。この推論は少々無理がありますかな。拙生はそうでもないと思うのでありますが。そして紆余曲折の後功成り名遂げて孫臏は孫家兵学の中興の祖となったのであります。これが孫臏或いは孫臏学派の人々が創りだした流派の歴史ではないかと考えるのであります。でありますから『孫子』十三編は孫武の書ではなく、孫臏或いは孫臏学派の人達が自派の権威づけのために世に出した書であろうという結論であります。ま、まったくの推論であり、資料的な裏付け等はないのでありますが、こう云う『孫子』の楽しみ方もあっても良かろうと思うのであります。
 とまれ『孫子』はその抽象度と名文の故に二千年以上後の拙生等が読んでも、まことに面白い書であります。但しこの書を兵学書として読むのは、これは実はかなり危険であるような気もしてくるのでありますが。
(了)
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