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枯葉の髪飾りⅩⅡ [枯葉の髪飾り 1 創作]

 拙生は沖の方へ向って再び泳ぎだすのでありました。歓喜の中にある拙生の水を掻く動きのなんと力強いことか。しかしその腕の振りの間隙を縫って、彼女を海へ連れてきたことによって彼女の病状にこの後なにかしらの良からぬ変化が起きはしないだろうかと、多少の危惧の飛沫が拙生の顔にかかるのも事実でありました。
 ドラム缶の筏にたどり着いてその上に乗って砂浜の方を見ると、小屋の中でまだ先程と同じ格好をして此方を見ている吉岡佳世の姿が小さく認められるのでありました。拙生が筏まで泳ぐ様子をああしてずっと見ていたのでしょうか。海を隔てて遠くに居る拙生が彼女に見えているのか試すため、拙生は筏の上で手を振ってみます。その拙生の仕草にすぐに反応して彼女は手を振り返します。やはり彼女は拙生を見失ってはいなかったようであります。なんとなく、甘やかな感情が拙生の背中で小躍りするのでありました。拙生は筏の上から海に跳びこんでクロールで砂浜の方へ引き返します。
「ああ気持ちよかった」
 砂浜の傾斜を早足に歩いて小屋まで帰ると拙生はそう云いながら、水が滴る体で茣蓙に上がるのを躊躇って、小屋の縁に彼女に後ろ向きに腰掛けるのでありました。吉岡佳世が拙生のタオルを取って手渡してくれます。
「水、冷とうなかった?」
「いいや全然」
 拙生は立ち上がって全身をタオルで大雑把に拭いながら云います。
「井渕君は結構泳ぎの上手いとねえ」
「いや上手て云うとじゃなかやろう。あの筏までかなりキツかったし息の上がっってハアハアしとったもん」
「あたし全然泳ぎきらんとよ。尤も中学一年生の夏休みが最後で、それ以来水に入ったことないけど」
「中学校までは運動は出来たとか?」
 拙生は体を拭いたタオルを首に掛けて再び縁に腰を下ろし、両手を床について上体を仰け反らせて彼女に云います。
「うん、一年生まではね。でもその最後の夏休みも浮き輪なしでなんか泳げんやったし、足の立たんところまでは結局行けんやったし」
「ま、事情があって泳げんとやから仕方なかさ」
「気持ちよかやろうねえ、井渕君みたいにすいすい泳げたら」
「いや、キツくて息の上がってハアハアするだけ」
 拙生が云うと吉岡佳世は笑うのでありました。
「まだお昼のお弁当には早かし、もっと泳いできたら?」
「うん、ひと泳ぎしたらなんとなく、もう気の済んだ」
 拙生がそう云うのは海に入れない彼女に対して遠慮の気持があったからでありました。
「そがんこと云わんでしっかり泳いでおいで。お弁当いっぱい作ってきたから、お腹空かしといてもらわんと困るよ」
(続)
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